昨日は、根拠のないコンプレックスを持っていたことを書いた。
言い換えればそれは、間違った自己像を信じ込んでいたということでもある。
その等の本人として思うには、これは宗教の原理主義に似ているだろう。
か弱くて人に頼るしかない自己像を100パーセント信じていて、それ以外は考えられない。
一応、大人になるまで育ったからにはそんなことはなく、自分で出来ることもたくさんあるのに、それは信じられない。
全く現実が見えていないから、生きている感じもしない。
そんな状態に陥っていた。
その間違いから目が覚め、現実に戻ってきたのがここ数日だ。
今はまだ夢から覚めたばかりで、現実に慣れるにはもう少し時間が必要な気がしている。
そのために特に何か努力をする必要は見当たらないけど、人と話をする機会はできるだけ、持つようにした方がいいかもしれない。
一方で、過去にも思いを馳せた。
私はおそらく、家庭以外の場所で色々教えられ、学び、その部分では順調に成長していた。
しかし、肝心の家庭で成長させてもらえなかった。
あるところまでは自然に成長していたのに、それを超えようとすると成長を止めるよう引き戻され、親の相手をしてあげなければならなかった。
結果、いつまでも大人になり切れず、現実が見えていなければ対処もできない私と言う人間が、出来上がった。
しかしながら、親について過去のことはべつに恨んでいない。
ただ、昔と変わっていない、つまり親が成長していないことは今もって嫌である。
そんな状態をまともに相手にするなら、変に気を使っていなければならないわけであって、そんな疲れること、またなんのエネルギーにもならないことはしたくない。
子どもの頃は自分を犠牲にして相手をしてあげたのだから、もういいだろうと思っている。
私は私で、生きていかなければならないのだ。