アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

わざとではなく、できっこないことを求められて対応に困るだけ

久々に、打ち合わせの連続というものを味わった。

 

そして久々に、仕事でかなり疲れた。

 

そのうちこうなることは、わかっていたことではあったけど。

 

 

そんな中にあって、最近はごく一般的な大人の心境というか、精神状態というか、そんなものがだんだんわかってきた気がする。

 

具体的にどんな心境なりかと聞かれれば、言葉で説明するのは難しく、あえて言えば「異常でない」と言うことになろうけど。

 

逆に言えば、これまでの自分の異常さやしんどさも、よくわかってきたということにもなろう。

 

もちろん、わかったからといってすぐに、一般的な大人と同じになれるわけではない。

 

そこは訓練が必要だし、もう始めているところだ。

 

詳しくは、また今度書くことにしよう。

 

 

一方で、このところ話題にしていた親について。

 

私は、必要最小限の言葉しか交わしていない。

 

そして、そのこと自体に特に問題はない。

 

問題があるとすれば、私がそれを気にした場合だけである。

 

本当の本心はそんなことはしたくないから、気にしてしまうことがないわけではない。

 

しかし、母親は子どもっぽく、暗に私に求めるのは私自身が親になるような役割なのである。

 

当然ながら、そんなことはできっこない。

 

私が必要最小限の言葉しか交わさないのは、わざとそうしているわけではなく、できっこないことを求められて対応に困るだけ。

 

どうすればいいかわからないのだから、そんなことは気にしないで、とにかく自分の道を進むのみ。

 

そう考えるようにしている。

 

 

そんなこんなで、さて、今日は久々に自分を探ってみよう。

 

ラーメンについて。

 

よくラーメンを食べにいく男子学生はマジョリティな方だと思うけど、かつての私もそんな一人であった。

 

ラーメン激戦区がその頃のテリトリーだっただけに、かなり食べた方ではあるまいか。

 

もちろん、今でも好きである。

 

 

そして密かに、インスタグラムにラーメンの記録を残している。

 

行った先々の当地のラーメン屋に行っては、それをスマホで撮り、アップしている。

 

べつにそれでラーメン仲間を作りたいとかもないけれど、なんだか3~4年続けている習慣だ。

 

ただ、あの頃どこ行ったとか、そんな記録の端くれとして、なんとなく楽しくて続けてしまっている。

 

何が楽しいのかと聞かれれば、何と答えていいのかわからないけど。

 

本当に、ただなんとなく続けてしまっているだけである。

 

 

思い出せば、最初はインスタグラムがどんなものか知りたくて、はじめたことだった。

 

だから、特にラーメンの記録をしたかったわけではない。

 

インスタを使ってみるにしても、何をポストすればいいかわからなくて、なんとなくラーメンを撮ってポストしただけだった。

 

 

それを何回か続けて、いつの間にか、一週間に一回はラーメンを食べに行こう、みたいになった。

 

実際には毎週行っているわけではないけど、いつも毎週一度はラーメン屋に行くことが、頭の片隅にある。

 

私にとってラーメンは、大概おいしいもの。

 

好みはあれど、まずいラーメンに出会うことは、まず無いと思っている。

 

ちょっと出かけて、好きなものを味わう瞬間が、一週間に一度くらいあってもいいよね、という感じである。

 

そんなに贅沢をするわけではないし、このくらいで味わえる幸せは、「おねだん以上」だと思う。

 

 

遠出の予定があれば遠くでラーメンを食べるし、そうでなければ近所で食べる。

 

今週は、遠出する予定はない。

 

近所のどこのお店に、行こうかしらん?