アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

イライラは自分でも認めていいものなのか、超克すべきものなのか

もっと、仕事がしたい。

 

そして、そのように言えば、客先に出かけるなりなど、どんどん仕事を振ってもらえるはず。

 

 

しかし、まだもう少しである。

 

親の呪縛から解き放たれ、私本来の心のありようで、いつでも過ごせるようになるまでに。

 

そんな自分を、確かに自分だと思えるようになるまでに。

 

 

先日、親がどうにもならないバカだと書いた。

 

整理する意味を込めて、どのように手に負えないのか、書いてみよう。

 

  • いつも自分優先である=こちらの話を聞かない
  • すぐムキになる

 

これらは、今の母親を見てもそうだけど、昔から変わっていないことでもある。

 

一言で言えば、子どもっぽい。

 

子どもの頃の私は、この親と一番長く顔を合わせなければならない存在であった。

 

いくつかは記憶として思い出されるとおり、私が「はいはい、わかりましたよ」というように、認めてあげなければならなかったのである。

 

 

この事実は、最近になってようやくちゃんとわかったこと。

 

自分自身への対処としては、おかしな環境下で育ったということから、今につながっている考え方だったり思考の癖なりをケアしてあげればいい。

 

これは今や、そんなに難しいことではないと思うし、あとちょっと続けていればいい。

 

 

一方で、「なんで俺が子どもの頃にそんなことをしなければいけなかったんだ」と思うと、混乱する。

 

また、昔と変わっていない母親を見るとイライラする。

 

さらにまた、この母親自体はこの先も変わらないはずで、その事実を前にするとまだ、頭を抱えてしまうのである。

 

 

もちろん、私が離れて暮らせば、そんな母親を見なくて済む。

 

しかし、単にそれをしても、アダルトチルドレンを克服できていることにはならない。

 

順番としては、アダルトチルドレンを克服してから、離れて暮らさなければならない。

 

そしてこの克服の鍵が、今の私の母親を前にしてのイライラと、頭を抱えてしまう状態に、ケジメをつけることだと思う。

 

 

「ケジメ」とはなんともあいまいな言葉だと思うけど、このイライラは自分でも認めていいものなのか、それとも超克すべきものなのか、よくわかっていないからこのように書いた。

 

なんとなく、それも認めるのがケジメになるとは思っているけど。

 

いずれにせよ、アダルトチルドレンの克服に向けて少しずつ、時にはジャンプして歩を進めてきたわけで、ゴールはあと少しだと思いたい。