アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

アダルトチルドレンの連鎖を止める

とても綺麗な景色を見た。

 

紅葉に色づく山だったのだが、「心から」あぁ綺麗だなぁと思えたのは、初めてのような気がした。

 

私は自分の目で現実の世界を見て、自分の心で綺麗だと思っていた。

 

私はやはり、変わっている。

 

進歩している。

 

 

そんな嬉しい驚きがあったが、今日のメインは景色を見ることではなく、子どもと遊ぶことだった。

 

行ったのは、田舎の小さな動物園。

 

子どもは無邪気に楽しんでいたが、それでいい。

 

私も大いに楽しんだ。

 

 

一方で、私自身が、私に似ているらしい子どもの今と同じ年頃はどうだったのだろうと、ちょっと考えたりもした。

 

ただ、具体的なことはほとんど記憶にない。

 

それが普通のことなのか、そうでないのかはわからない。

 

なんとなく私自身も、無邪気な普通の子どもだったようには思うけれども。

 

 

間違いないのは、その後の私が、親と対立していったこと。

 

子どもでありながら。

 

そして、アダルトチルドレンになった。

 

 

親との詳しいことは今回は省くけど、私が心配するのは、アダルトチルドレンは連鎖すること。

 

私は間違いなく、母親から連鎖した。

 

母親自身はそんなことに気づいてはいないが。

 

私は気づいたからには、それを克服して、連鎖を止めなければならない。

 

 

しかし、私はもう離婚して子どもとも別居しているわけで、すでに普通の親に比べれば、時間的にしてあげられることはかなり限られている。

 

また、別居になったことがまず、連鎖を助長するのか止める方向に行くのか、わからない。

 

ただ、どちらにしても、私自身がアダルトチルドレンを克服して、できることを精一杯してあげる。

 

それしかない。

 

 

親自身が自分の人生を生きることができれば、子どもも自分の人生を生きることを学ぶ。

 

アダルトチルドレンの連鎖を逆に考えれば、そうなるはずだ。

 

だからまずは私自身、アダルトチルドレンを克服する。

 

それが、子どもに何をしてあげたいと考えるにせよ、大前提だと思うのだ。