朝の私は、どうも気が立っている。
起きた後からすぐ、「なんで俺はこんな目にあっているんだ」みたいな、親への怒りの感情が押し寄せてくる。
今、親は見えるところにいないにもかかわらず。
しかし同時に、考える。
私がこうして怒りの感情を持ってしまうのは、それこそ親の思うつぼ。
子どもの頃に私を支配しようとした(今もだが)親の支配を受けている、自分の姿がまたそこにあるからだ。
そこで、ちょっと散歩をしてみる。
通学する小学生の姿が見える。
子どもはかわいい。
そして、自分と同じ境遇を歩んでいなければいいなと思う。
そこでまた、自分も親など関係なく、自分の見方で物事を見て、自分の感じ方考え方で動いていいのだと、自分に言い聞かせる。
小学生の姿に、子どもの頃の自分をだぶらせたりもする。
すると心が落ち着いてきて、自分の姿もくっきりと浮かび上がってくるような気がしてくる。
毒親に育てられたそんな私であるが、一方で、親との問題やいざこざは皆無だったという人の方が珍しく、人によってはなぜアダルトチルドレンになってしまうのか、またなってしまうのとならないその境目は何なのか、理解できないと思う。
結論を言えば、私もまだわからない。
家庭問題の専門家でもないし、他人の家庭環境について詳しく聞いたりはしてこなかったからだ。
他人の家庭環境など、聞きたくなかったと無意識に考えていたとも思う。
なぜなら、それを聞くと否応なく自分の子どもの頃の家庭環境を振り返ることにもなり、そうしたことは極力避けていた。
今思えば、であるが。
だから、あくまで毒親に育てられた経験から考えてみたいが、アダルトチルドレンになったりならなかったりする問題は、親との間の個別の問題事象のあるなしではなく、親の精神的な問題のあるなしに帰するだろうと思っている。
たぶん、子が親に歯向かったり、双方で意見が衝突するのは珍しいことではなく、たとえそれで親と子で不協和になっても、それだけで成長してもアダルトチルドレンの問題にはならないと思う。
子の進路に親が反対して、それでも子は自分のやりたいことをやり通して、大人になったらちゃんとした関係を築けていて、かつ子は育ててくれた親に感謝している、みたいな話を聞くことだってある。
それはどこかで折り合いをつけられていて、それでちゃんちゃんということであろう。
一方で私の場合は、親が精神的にズレていた。
具体的に言えば、精神的に子どもと同じであった。
ここに書くのもはばかられるようなくだらないことで、親が私に喧嘩を売ってくるというか、歯向かってくることもあった。
そんな親いるの?と思う人もいるかもしれないが、実際にいたのである。
私の考えは聞いてくれないし、やることなすことのほとんどは親自身の気持ち優先。
私を認め褒めるのは、親が満足する条件をクリアしたときだけ。
自分の意志や考えははなからないがしろにされ、無力感を抱え続けた。
自分を殺して生きるようになったから、自分のやりたいこともなくなった。
色々書いたが、まとめればアダルトチルドレンは、親自身と家庭環境の問題である。
もっと具体的に、一言で言えば親が「毒親」かどうかということ。
結局、「アダルトチルドレン」と検索すればすぐに出てくる結論と同じになってしまったが、全く持ってその通りだと考えている。
理解できない人は、理解できないことが幸せだと考えてもいいのかもしれない、と思う。