アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

これまで生きてきた前提となる世界観を、根底からひっくり返す大革命

こんばんは!

 

 

いきなりですが…今日は疲れました。

 

昨日のしんどさとは違う、どーっとした疲れ。

 

 

とはいえ、何か他人から見てすごく生産的なことをしたとかではないんです。

 

今日はずっと、仕事はぼちぼちしていましたけど。

 

 

何に疲れるのか、色々考えました。

 

疲れるということは、エネルギーはものすごい使っていると思うんです。

 

 

たぶん、思考の大転換が起きているからではないかと。

 

いや、起きているというより、精一杯起こそうとしている、と言った方が正しいような気がします。

 

 

これまで、親の影響から「自分はやりたいことや希望を持ってはいけない」だったり、「自分は誰からも愛され認めてもらえない」のが当たり前だった私。

 

それがです。

 

「自分は、やりたいことならやっていいし、希望を持ってもいい」

 

「自分は、愛され認めてもらえる存在である」

 

そんなことを、時間があれば頭で反駁しています。

 

仕事の合間でも、ご飯を食べている時でも。

 

 

この認識は、これまでまるで考えたことがなく、だからこそ全く想像がつかなかった世界観というか、そういうものでした。

 

それが、「もしかして、そんな世界があるのか?」と言う問いかけから、「もっと具体的に、どんな世界なのか?」という想像へと向かっていきます。

 

今のところはその世界の一割も、まだ見えていないかもしれませんが、とにかく脳みそをフル回転させて、もっと見えるようにならないかと考える。

 

その世界はきっと、私がこれまで生きてきた前提となる世界観を、根底からひっくり返す大革命だと思うんです。

 

それだけ大変で、かつ個人的に前代未聞の取り組みに多大なエネルギーを使っていて、疲れてしまうのだと思います。

 

 

また、昨日は「頑張っているなら、それでいいではないですか」と、前向きなことを書きました。

 

そのおかげかどうかは確たる自信はないのですが、今日はなんとなく少しだけ、いつもより気分がよかったです。

 

ただ、因果関係に関係なく、前向きで気分がいい方が、良いに決まっていますよね。

 

これも、暗く愚痴や文句ばかりの親の生き写しみたいだった私には、理屈上はそのとおりだと言えますが、自分自身においては現実感のない体験でした。

 

 

親の世界観から切り離された、私独自の世界観と体験。

 

そういうのを、地道に積み上げていく必要はあるのかもしれません。

 

 

今日ここに挙げたのは、私の世界観のほんの一部を、切り取っただけに過ぎないと思います。

 

世界観のほとんどは、まるで見えてないような気も…(笑)

 

そもそも独自の世界観を、持たないようにされていたわけで。

 

それを考えるとちょっと悲しくなりますが、今さら何かを責めてもしょうがないですね。

 

今日はお疲れさまでした!