アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

「ダメで誰からも認められない」自己認識は、呆れるくらい単純な話へと転換した

こんばんは!

 

ケミオです。

 

 

昨日のEMDRから今日にかけては、割と調子がいいです。

 

ただ、その前が極端に悪かっただけに、アップダウンが不気味で怖さを感じています。

 

一寸先は、またダウンかもしれない。

 

そんなことが、常に頭の中にあります。

 

 

一方で、4日前に書いたような、私が子どもの頃にした反抗や無視、そして母親が家を出ていったことについて、やはり私は間違ってはいなかったんだという思いが増していきました。

 

この記憶についてはずっと、私がダメで誰からも認められない存在だから、このようなことになってしまったのだという認識とセットでした。

 

それが私を長い間、苦しめていたんです。

 

 

しかし、昨日のEMDRを経て、今日、転換が起きた気がします。

 

子どもの頃の私は、親から認めてもらえた記憶がほぼありません。

 

「ほぼ」と言うからにはちょっとはある、ということですが、圧倒的に多いのがダメ出しだったために、褒めたり認めたりする言動が親から出ても、それを素直に信じることはできませんでした。

 

また、ダメ出しはよく、他人と比較することで行われました。

 

「〇〇君はできるのね、すごいのね」みたいな評判とセットです。

 

授業参観、先生の家庭訪問、通知表とすべての行いが母親にインプットされるたびに、私は他人との比較とダメ出しをされ続け、それがそのまま、自分自身についての認識にもつながっていきました。

 

 

そんなくり返しから、私の反抗も日常的になっていき、いつしか完全無視へとつながっていくのです。

 

ただ、反抗と無視をしながらも、それが「私はダメで誰からも認められない存在である」という自己認識を、変えてくれるものではありませんでした。

 

 

それから少し年月をおいて、母親が家を出ていくことになり、以後の私に起こる出来事のほとんどに、母親は関係なくなりました。

 

しかしその間もずっと、私の自己認識はずっと変わらないまま、昨日まで来ていたことになります。

 

 

では、そんな自己認識にどんな転換が起きたかというと…呆れるくらい単純な話に聞こえるかもしれません。

 

結論から言うと、と言うより結論しかないのですが、「自分を否定ばかりする人と一緒にいたくないと私が思うのは、当たり前だ」という認識への転換です。

 

一般社会でそんなことばかりの人がいたら、普通、相手が離れていくと思います。

 

至極単純な話だと思いますが、母親はそれを、家庭で被支配者の立場である私が離れられないのに甘えて、やり続けてしまったんではないかと考えられます。

 

だとしても、その甘えが信じられないのですが、とにかく私も当時子どもでありながら、一人の人間です。

 

「なぜお前に、そんなに否定されなければいけないんだ」と思っても、全くおかしくないと考えます。

 

 

なお、この思いを引き延ばせば、「そんなに俺のことが嫌なら、一緒にいなければいいじゃないか」とつながっていきますが、そこはその通りで、実際に母親は家を出ていきました。

 

 

そんなこんなですが、私を長い間苦しめていた、暗黒の子どもの頃の記憶は、この転換でいいと思います。

 

事実も、記憶も、書き換えていません。

 

変わったのは、認識だけです。

 

転換後の話が単純すぎて、変わらない記憶に20年以上も苦しめられていたのが悔やまれますが…。

 

 

今日は、最初から最後まで大真面目に過去と今を振り返っただけの話でした。

 

お付き合いいただきまして、ありがとうございます。

 

今日もお疲れさまでした!