アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

しんどかったEMDRで得たもの

嫌いな2月がやっと下旬に入ったところで、厳しい季節は続く。

 

 

花粉がやってきた。

 

10年ほど前に、突如私を襲った花粉症。

 

今日も仕事中、頭がボーっとしてしまった。

 

 

そんな中にあって、昨日はEMDR

 

これまでで、一番しんどいセッションだった。

 

頭が混乱する。

 

息苦しくなる。

 

ただでさえ花粉でちょっとしんどかった上に、ダブルのしんどさでとてもくたびれてしまった。

 

 

しかし、しんどかった分の得るものは、あっただろう。

 

だんだん、自分が蘇ってきたのを感じる。

 

過去をかなりほじくりだしたけど、アダルトチルドレンになる前の無邪気な気持ちなどが、なんとなく、少しだけリアルに思い出されるようになった。

 

そしてまた、自分が親に合わせるために無理をしていたことも、だんだん実感としてわかってきた。

 

 

一方では、子どもの頃の記憶全般を、私は思い出さないようにしていたこともよくわかった。

 

私にとって家庭は、そこにいたくない、嫌な場所であった。

 

だから子どもの頃は、嫌なイメージでひとくくりにされている。

 

思い出さないように、見ることがないように、地中深く埋めてパンパンに固めてしまったのだった。

 

 

その子どもの頃は、家庭も自分もうまくいかないのは、「私が悪い」と決めつけていた。

 

またその決めつけは、今までもずっとそうだった。

 

しかし、その決めつけは間違っている。

 

悪いのは、親であった。

 

 

なお、ちょっと前までは親が悪いとかバカだのと言うのは、ちょっとはばかられる気持ちがあった。

 

なんとなくそう思っていながらも、「やっぱり本当は自分がダメで価値のない人間だし、そんなこと言ってはいけない」みたいな意識がかなりあった。

 

しかし、今は堂々と言える。

 

はっきり言って、親が悪い。

 

子どもの頃の私に対してしてきたことは、間違っていた。

 

それを「バカ」というのは、褒められる言い方でないのは認めるけど。

 

 

中には、「そんな親も親なんだから~」みたいなことを言う人がいるかもしれない。

 

しかし、そんなことを言えるのは、まだまっとうな家庭にいた人である。

 

それは、私だってそんな家庭にいたかった。

 

まっとうな家庭にいた人を非難するつもりは毛頭なく、むしろそれでよかったじゃんと言ってあげたいけど、もし私の親に対する考えについてああだこうだ言うのであれば、「私の立場になってみなさい」と言いたい。

 

たまったものではない。

 

絶対にどこかおかしくなる。

 

 

そんなこんなだけど、もう人生の半分は生きてしまったかもしれない。

 

いつまで生きるのかわからないけど、せめて残りの人生は、自分を取り戻して生きたい。

 

べつに、大きなことは望まない。

 

それだけができれば、いいかなと思う。