アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

安心や安全を感じられる家庭がなかった私にある、壁

おはようございます!

 

ケミオです。

 

 

今日はお休みの日ですし、朝から書いてみます。

 

夜は、ダルビッシュと大谷を見なければならないですし…。

 

 

さて、昨日私は、「自分はダメで認められない存在である」という自己認識について、転換が起きたことを書きました。

 

実のところ、100%そうなったとはまだ言い切れない気もするのですが、いづれそうなるだろうから心配なかろうと思っています。

 

 

一方で、転換前の自己認識を一言で言い表せば、「自己肯定感がない」ということになると思います。

 

自覚もしておりますが、私にそれは全くありませんでした。

 

ゼロ。

 

最近になってようやく、それがおかしいということを、実感として認識し始めたくらいです。

 

 

では、どうあればそんな状態を避けられたのかというと、ネットで調べれば同じことばかりが登場します。

 

子どもの頃に、安心や安全を感じられる家庭があること。

 

たぶんこれは全くその通りで、これも自覚がありますが、家に帰ればダメ出しや他人と比較されることばかりだった私は、家庭で安心や安全を感じられることがありませんでした。

 

今度はいつ、どんなことを取り上げて自分を否定されるだろうと、いつもビクビクしていました。

 

安心や安全を感じられる家庭がなかった私が、結果、自己肯定感をつけることができなかったのは、実体験として間違っていないと思います。

 

 

とはいえ、昔のことはもう仕方がないです。

 

事実を今さら、変えようがありません。

 

変えられるのは、今の自己認識です。

 

自己肯定感を、自ら育まなくてはならないでしょう。

 

 

しかし…これが本当に難しい気がしています。

 

昨日、子どもの頃の環境については、私自身は全く悪くないことが明らかになりました。

 

それはそうなんですが、では事実とは逆に私は、「家庭できちんと認められ、自らをまっとうに肯定すべき人間なんだ」と即座に考えていいのかと思えば、そこにはまだギャップがある気がするんです。

 

話が飛躍しているというか。

 

体験がないから、イメージがつかないのもあります。

 

それなら理屈で補えればいいのですが、理屈もまだ通っていない感じです。

 

 

この自己肯定感が、大きな壁だと思っています。

 

認められること、安心できること、自己肯定できる自分など、イメージしたいのにできないことがもどかしく、忸怩たる思いがします。

 

カウンセリングもEMDRも行っているので、いずれなんとかなることを信じてはいますが。

 

 

アダルトチルドレンの克服、またその中身として10年単位で続いてきた認識や思考を変えるのは、簡単ではないんだなと実感しています。

 

あっという間にお昼の時間になりそうですが、今日も良い一日を!