アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

気づくべきであり、知るべきであった事実

仕事中ではあるけど、ちょっと間が空いたので書いてみよう。

 

それにしても、今日は暖かい。

 

 

このところ色々考えたことの帰結として、今までの私を巣食っていたものを端的に表現すると、「コンプレックス」というのがピッタリなのではないかと思った。

 

  • 私はできない人間だ
  • 私は愛されない人間だ
  • 私は人と仲良くなる資格がない
  • 等々…

 

それだけでも発見ではあるけど、発見したら発見したらで、今度はこれらのコンプレックスには、まるで根拠がないことにも気づいた。

 

コンプレックスを持つように、親から脳を汚染されていただけである。

 

 

この事実は、書き出してみると単純な話で、そんなことにも気づかなかったのかと自分でも思う。

 

しかし、これまでずっと気づかなかったのである。

 

またしかし、気づいたら今まで気づかなかったことを不思議に思うようになり、「今まで自分は何をしていたんだろう?」という感じを持っている。

 

 

昨日、親がバカで子どもっぽいと書いたけど、思うにその発見とこの発見はセットである。

 

本当のところ、昨日までは親がバカだのと言いたくない気持ちがまだ少しあった。

 

しかし、今日になるとそれが紛れもない事実であり、かつ自分でどうすることもできないことを、受け止められるようになった。

 

すると、親がバカで子どもっぽいと思ったっていいと思うようになり、それから自分のコンプレックスにも気づいて…という流れであった。

 

 

おそらく、私がこれまで自分の存在を感じられなかったり、見たり思ったりすることに現実感を持てなかったりしたのは、この思いにフタをしていたからではあるまいかと思っている。

 

いや、間違いないであろう。

 

そして、私が気づくべきであり、また知りたかった、知るべきであった事実と思いもまた、この親についての認識であったのだろう。

 

 

「そういうことだったのか!」と、ガッテンである。

 

アダルトチルドレンの克服に向けて、これまで少しずつ3割くらいまで積み上げてきたものが、一気に7~8割くらいになった気がする。

 

 

「いや~よかった」の一言に尽きる。