アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

自分の気持ちや憧れは、大事にするべし

引っ越した後から、ブログの更新頻度が減っている。

 

 

しかしもちろん、アダルトチルドレンの克服を忘れているわけではない。

 

理由は、色々と気づくことが減ってきたからだ。

 

 

さらにこれには、2つ理由がある。

 

一つは、気づくべきことには、もうほとんど気が付いたのではないかということ。

 

ただこれは、気づかなければいけないことが全部でどのくらいあるのかわからないから、推測だ。

 

しかし、ここまでに書き出したくらいのことに気づけば、もうだいたいはいいのではないかとも思っている。

 

 

もう一つの理由は、引っ越してからというもの、人との交流が仕事以外にないこと。

 

その仕事だって、私は今リモートで、ほとんどツールを使って文字のやり取りをしているだけ。

 

仕事以外の、かつて入っていたグループや交流は、引越しで全てリセットされた。

 

テニスや野球、特にテニスはもう少ししたら新たにやろうと決めているが、まだスタートしていない。

 

このように、今の私はあまり人と話したりすることがないから、気づくことも少ない。

 

 

とはいえ、引越し前に自分ができたことや気づいたことは、たまに意識して思い出している。

 

特に、人との交流におけるそれらについて。

 

すると、やはり自分は自分でよかったんだと、再確認できる。

 

親が密かに望んでいた、弱々しい私の姿でなくていいのだと。

 

 

その親と、今は一つ屋根の下にいるわけだが、ちょっと試してみたことがある。

 

高級外車に乗った話や、高級レストランで食事したときのことを話してみたら、どんな反応をするかを。

 

一般的に強くて華々しいイメージがあるそういう話に、母親は怪訝そうな顔をするだろうと思って、話して試してみたのである。

 

 

やはり、予想した通りだった。

 

特に何も言わなかったが、「何そんなの、私は理解できないわ。見栄を張っちゃって、フン!」みたいに言いたげに、黙っていた。

 

私がそのような体験をするのを、母親はやはり、嫌なのである。

 

母親は、母親自身と同じように私を、弱いままにしておきたいのである。

 

 

私としてみればそこはやはり、母親がどう思おうと勝手だし、知ったこっちゃない。

 

高級外車も高級レストランも他人に自慢するためではないし、自分がいいなと思えば相応のお金を払って行って、自分が満足すればいいのだ。

 

本当のところ、母親を試すために出したこの話は、縁あって運よく体験できたことではあるが(お金は払っていない)。

 

 

とにかく大事なことは、自分の気持ちや憧れを大事にすること。

 

それに素直であれば、笑われることはあるかもしれないが、まっとうな大人は私という人間を受け入れてくれる。

 

事実、過去に私の周りには、そういうまっとうな大人がたくさんいたのだから。