しかしまあ、実家は暗いものである。
特に母親。
その発言の一つ一つは割愛するにしても、本人は面白半分で言っているのかもしれないが、全く面白くないし、耳にすると気持ちが暗くなる。
もっとも、そんな発言には、いちいち反応はしていない。
完全にスルーしている。
それに、今はもう、親が暗くてもいいのである。
本人がそのようにしかならないのであれば、そうしていればいい。
私だって、無理に暗さに付き合うこともない。
それだけのことだ。
しかし、子どもの頃はそうはいかなかったのである。
暗い環境からは逃げられないし、付き合わざるを得なかった。
付き合わざるを得なかったということは、自分はもっと楽しくありたいという気持ちを殺して、暗い親に「私も同じだよ」と同調する道しかなかった、ということである。
今、私がいるこの暗い環境で、子どもの頃を過ごさなければならないとしたら、それは厳しいだろうと思う。
無邪気な子ども心は、受け入れてもらえないのだから。
事実、私がそんな環境で育ってきて、アダルトチルドレンになったわけだ。
とはいえ、繰り返しになるけれども、べつにもういいのだ。
暗くたって。
それはもう、会話には極力付き合いたくないけれども。
だって、暗いのだから。
私は私で、勝手にエンジョイしていればいい。
かように、母親の姿も、自分の気持ちも客観的に見られるようになったことで、アダルトチルドレン克服の段階に、かなり深く入ったのではないかと思う。
怒りはないとは言えないけれども、小さく抑えられる。
また、母親に対して、これまでとはまるで違う見方をしている。
それはなんか、新鮮でもある。