見ているようで見ていないが、NHK「ファミリーヒストリー」が流れている。
私が仮に有名人だとして、この番組の出演を打診されたとしたら、間違いなく断るであろう。
家にいるのが嫌だったくらいだから、育った家庭には、良い思い出はない。
だからそのルーツなども、辿りたくない。
というか辿ったって、親がアダルトチルドレンなのだから、どうせどこかで美化しようもない話が出るに決まっている。
また、今の私に必要なのは、出自がどうであろうと本来の自分が持つ、心のあり方だと思っている。
それは、血縁や家族のことより、自分が生まれてからの、自分のルーツの方が大事だということでもある。
家庭で自分を殺してきた私は本来、なにをしたかたったのか。
何をしたくたって、どうせ心が満たされるまでさせてもらえることはないのだから、それを実現しようとすることすら、完全に諦めてしまっていた私。
何かに感動して、憧れて、やってみたい、などと思うことすらやめた。
今に繋がる過去の自分というのが、至極あやふやなのである。
ただ、アダルトチルドレンへの歩みを進める前でギリギリ間に合って、実現したものが一つある。
野球だ。
野球をやりたかったことは、父親に言って実現した。
とはいえそれも、母親は嫌な顔していたし、また自分を殺し始めてからは、どこか心苦しさ感じながらでもあった。
だから、心から満足するまでできたとは言い難い。
完全に無気力になった、高校ではやらなかった。
もし人生をやり直せるなら、高校野球を思いっきりやりたいと、今では思う。
そう考えると、野球が私のセミルーツの一つか。
「セミ」とつけたのは、満足するまでできたとは思えないからだ。
それでも思い出はあるし、やってよかったとは思っているけれども。
ただ、そんな野球でも私の家庭環境では、やはり満足するまでやり遂げられることは、想像できない。
悔し涙を流したり、「お父さんお母さんありがとう」なんて言っている自分が、想像できないからだ。
現にその頃、母親は家にいなかったし、いたとしても応援してもらえる自分の姿は想像できない。
そう考えると非常に悲しくなるが、それが事実であった。
しかし、過去は変えられないし、人生をやり直すことも不可能。
自分が生まれてからのルーツがあやふやでも、一つ言えるのは、このまま人生を終わらせたくはないということ。
これからでもいい。
私は、私の人生を生きたい。