アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

価値観と世界観の違いと想像力

昨日は、EMDRであった。

 

 

しかし、昨日については、ちょっと私の方で認識のズレがあったかもしれない。

 

 

これについては、また今度改めて書こう。

 

自分でも、まだ色々と整理できていないところがある。

 

 

そして今日は、あまり生産的でない一日で、ちょっと気分も良くないのだけど、そんな日もあろうと思い直して、適当にテーマを見つけて書いてみる。

 

 

なんとなく、飲み屋について。

 

 

とはいえ、最近は全然行っていない。

 

節約しているというのもあるし、引っ越してからは飲みに行くような機会もない。

 

また、節約しているから、飲みにお金を使われる機会はなくていいと思っている。

 

 

しかし、飲むこと自体は嫌いでないし、色んなお店に入ってみることは好きである。

 

本来は。

 

ただ、酒はあまり体に良くないし、それ以上に運動をするのが好きなのだろう。

 

時間とお金を運動に費やすことが多くなり、飲みに行こうという欲動はなくなった。

 

 

こうした状況は比較的最近のことだけど、時間を遡れば、学生の頃はそれなりによく飲みに行った。

 

あの頃も生きづらさを抱えていたとはいえ、幸いにしていい仲間と出会い、飲んで楽しむ時間を得ることができた。

 

 

学生の飲み会というと、学生特有のノリみたいなものがあるけど、これは私の親は全く理解できない世界だと考える。

 

いや、飲み会に限らずだけど、学生の世界というものについて、それを経た私とそれが理解できない親とでは、価値観や世界観が全く違うんだと思っている。

 

違うからなんなんだと言えば、特に何があるわけでもない。

 

それに気づいたのは、つい最近のことであった。

 

 

その最近までは、本来の自分のとはまるで違う、親の価値観や世界観に合わせて生きてきた。

 

自分を無理して殺してまで。

 

もちろん、価値観や世界観なんていうものは、親でなくたって人それぞれで異なる。

 

多かれ少なかれ。

 

ただ、そこは普通の大人であれば想像力を働かせて、大概は相手を認めてうまくやっていく。

 

しかし、私の母親はその想像力を全く働かせない。

 

だから他人にビクビクしながらも、批判や愚痴ばかり。

 

恥ずかしながら、私も同じであった。

 

 

私はそこから半歩、出たところにいるのだと思う。

 

 

親と関連する話はそのくらいにしておいて、話を戻せば、飲み屋について。

 

しかし、飲み屋で話を書き出したつもりが、飲み会と学生の頃の話へと移ってしまったようだ。

 

あの頃の仲間はみんな、元気にしているかしら?