自分で、自分を育てる。
アダルトチルドレンがやるべきこととしてどこにでも書いてあるが、私はこれがよく理解できなかった。
自分がアダルトチルドレンであることは、かなり前からそうかもしれないと思っていた。
しかし、認めたくない気持ちもあったし、自分の症状にも確信が持てないままだった。
そこで「自分を育てる」みたいに書いてあると、自分のことを理解しないまま、「はぁ?そんなことできるの?」みたいな感じであった。
今思えば願望に近いものであるが、自分が正常な環境で、正常に育ったと考えていたから、ついぞそれ以上、どういうことかも理解しようとしなかった。
それが今では、とてもよくわかる。
親に認めてもらえず、自分で感じる自分の存在が不確かになってしまった自分は、大人になった自分自身が育てるしかない。
今、日頃それについて私がしていることを具体的に書けば、「許可を与える」だ。
日常のあらゆる場面において、
〇〇と思ったっていい
〇〇が欲しくてもいい
〇〇をやってもいい
…
と、〇〇に何かを入れたらキリがないが、とにかく色んな場面で立ち止まって、自分に許可を与える。
すると立ち止まる度に、不思議と自分に満足する気持ちが出てくる。
また、その大抵は恐怖や不安につながることであるが、考えなくてもいいことを考えなくなる。
その繰り返しで総じて、自分に満足し、かつ自分の存在を自分で受け入れられるようになる。
そんな日を何日か続けていたところで、「自分を育てる」ことがどういうことか、やっと理解できた。
一方ではそんなふうに、自分をちょっとずつ受け入れられはじめたところで、重大な別の事実もよく理解できるようになった。
自分はとてもよろしくない生育環境で育ち、長い間過酷な状態で生き抜いてきたという事実。
こんな状態で、よくここまで生きてきたな、と思う。
さぞ、辛かったろうと思う。
このような思いが自然に湧いてきたのであるが、それは紛うことなく、自分を認めたということ。
すると、肩の荷がスーッと降りる。
気持ちが楽になってくる。
恐怖や不安が和らぐ。
総じて言えば、自分で自分に許可を与えることで、自分を認められるようになる。
もちろん、私はまだアダルトチルドレンの克服途上。
こうしたことは、まだまだ続けていく必要があると思う。
立ち止まることなく、いつも自然に無意識に自分を認めていて、それに応じた行動もできるようになった時。
それが、アダルトチルドレンの卒業だと思う。