アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

今は自ら望んで、「アダルトチルドレンを、克服するためです」

ネットで調べると出てくるが、アダルトチルドレンには「人間関係リセット癖」があるらしい。

 

なるほど、私も全くもってそうである。

 

職場が変わり、住むところが変わり、その度にほとんどすべてがリセットされた。

 

社会に出てから出会った人で、環境が変わっても縁を切らさずにいる人はいない。

 

大人の世界はそんなものかもしれないと思うが、たとえ職場が変わったりしても、ほとんど変わらない仕事を発展させ続けているのであれば、縁が切れずに付き合う人がいても不思議ではないだろう。

 

しかし私は、キャリアもひっちゃかめっちゃか。

 

当然ながら、そんな相手は生まれなかった。

 

 

さらに言えば、私は学生の頃から続いている付き合いは、ほぼない。

 

挙げるとすれば、大学の4年間続けたアルバイト仲間だけ。

 

それはそれで、今でも大切にしている付き合いではあるが、学校のつながりで今も続いているものは、ゼロと言っていい。

 

 

そしてこんな「人間関係リセット癖」は、もちろん、自ら望んでそうしているわけではない。

 

いやしかし、表面上は、自ら望んでそうしたようにも思える。

 

抑うつになるたびに、生きるのが苦しくなるたびに、自らすべてをリセットして、再スタートを切ろうとしていた私であった。

 

でも、抑うつも生きるのが苦しいのも、それ自体が自ら望んでなったわけではない。

 

やはり、人間関係のリセットも、望んでないのにやむにやまれずそうなったと考えるのが正しいだろう。

 

 

そんなことを考えていくと、私のキャリアには、自分の意志がどこにもない。

 

いつも、「やむを得ずそうせざるを得なかった」の繰り返し。

 

だから例えば、「あの時のあなたはどのように考えて、そういうことにしたのですか?」などと聞かれても、答えられないのである。

 

 

とはいえ、このような過去の状況に説明を与えるとすれば、やはり「病的」ということになろう。

 

私自身は自らを正常で健全な人間だと思い込んでのチェンジとリセットだったが、その繰り返しは、もはや「病的」なものというので一貫している。

 

そしてこの「病的」なところが、私のアダルトチルドレンたる証拠である。

 

 

かなり遠回りして書いたが、つまるところ、私のキャリアはアダルトチルドレンだったということだ。

 

しかし、今現在の自分が取り組んでいることを、この先聞かれたら、きっと答えられるであろう。

 

「あの時のあなたはどのように考えて、そういうことにしたのですか?」

 

アダルトチルドレンを、克服するためです」

 

今は自ら望んで、取り組んでいるのだ。