アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

キャピキャピしていてギャルっぽい女性がきづかせてくれた、大切なこと

アダルトチルドレンを克服すべく取り組み始めて、1ヶ月くらい。

 

自分の内面はもちろん、他の人の行動もつぶさに振り返る中で、ハッキリとわかった。

 

「自分で自分がどんな人間が、全くわかっていない」ことに。

 

さらに言えば、そんなことを全く考えようともしなかった。

 

自分で、自分のすることや思うことに、全く関心がなかったのである。

 

 

それは、現実から解離した世界にいるからだと思う。

 

そこでの自分は怒りや恐怖に支配されていて、現実の自分はどこにもいない。

 

いるのは、怯えてビクビクして敵意剥き出しの自分であり、そんな自分をまた、省みることなど一切なかった。

 

 

一方、自分のそうしたことをハッキリ気づかせてくれたのは、他人であった。

 

テニスでたまに会えば話もする女性で、年齢の割にキャピキャピしていてギャルっぽい。

 

あまり見ないタイプである。

 

「キャピキャピしている」というのは、彼女の内外面から感じた私の印象であったのだが、それが、彼女自身がしている彼女自身の評価と見事に一致していたのだ。

 

彼女は、すごく自分で自分のことがよくわかっているんだなと思った。

 

また、そんな自分を揺るぎないものとして受け入れている。

 

さらに、私と違い、自分に自信を持っていることが、とても感じられたのである。

 

 

そんなことがあって、本当は彼女みたいでなくちゃいけないんだなと思った。

 

現実に生きているというのは、こういうことなんだろうと。

 

彼女の場合はキャラクターが少し特異でわかりやすいけれど、そうでなくても、現実に生きている人はみんな彼女と同じなんだろうと思った。

 

 

私の場合、「自分で自分がどんな人間が、全くわかっていない」から、なんか苦しいと思っても、対処の仕方がわからなかったのである。

 

自分に対する認識がないから、苦しい理由を突き止められるわけもなく、対処のしようもない。

 

もっと言えば、苦しいということ自体も、意識の中にはなかったわけだが。

 

でもそれは意識にないだけで、苦しさは確実に生身の体を蝕んでいった。

 

その反応が、私の場合は抑うつであった。

 

 

今は心身に出ている症状はないが、その苦しさを取り除き、「自分で自分がどんな人間がわかる」状態にならないと、絶対に同じことをまた繰り返す。

 

では、自分はどんな人間だろうか?

 

それはまだ、ほとんどわからない。

 

だからとりあえず、小さなことから確認してみている。

 

酸味のあるコーヒーが美味しい

あのお店のラーメンが好きだ

スポーツは楽しい

ちょっと頭がいい

面倒くさがりなところがある

 

などなど。

 

少しずつ、少しずつ確認して、自分の輪郭を浮かび上がらせるしかなかろうと考えている。