アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

自分を支配する恐怖は、誠に手強い

心と行動の習慣を変えるのは、なかなか難儀なことだ思う。

 

感覚には現実感が出てきて、アダルトチルドレンの克服に少しは近づいたと思うけど、まだまだ生きやすくなるはず。

 

だいたい、まだ今の状態では、たくさんの人と接するとたちまち、ストレスの塊になってしまうだろう。

 

自信がない分だけ、漠然とした生きづらさがまだある。

 

そんな感じだ。

 

 

やるべきことは、まだまだ多い。

 

先にも書いたが、現実に生きる等身大の自分を、自分で理解する必要がある。

 

さらに、私の思いや考え、行動を制限するリミッターも、外す必要があるだろう。

 

このリミッターを外さない限り、心と行動の習慣は変わらないと思う。

 

それが冒頭に書いたことで、きっと、とても大変な仕事だ。

 

 

しかし、そもそもこのリミッターの正体はなんだろうか?

 

明らかなのは、子供の頃に親が私にかけたリミッターである。

 

親が、親自身が望むような人生を私に歩ませようと、無理につけたリミッター。

 

とはいえ、アダルトチルドレンを克服しようとしているこれまでの結果、今はそんなものに制限されなくてもいいことは、頭ではわかっている。

 

私だって、自分の思うこと考えることに従って、自由に生きていいのだと理解している。

 

 

それなのに、リミッターは外れない。

 

頭で理解できることとは別の何かが、私を支配しているとしか考えられない。

 

 

それが何かを考えたら、「恐怖」しか思いつかない。

 

まだまだ私には、子供の頃に根付いてしまった、見捨てられたら生きてさえいけなくなる恐怖がある。

 

「自由に思って考えて行動していいんだよ」と教えてくれる自分がいる一方、恐怖に足を引っ張られて、いとも容易くアダルトチルドレンの習性に戻ってしまう自分もいる。

 

後者の恐怖が、誠に手強い。

 

なんとか勝とうと勝負を挑んではいるが、隙を見せたらすぐにものすごい力で足を引っ張られて、引き摺り込まれてしまう。

 

 

たぶん、まだ実力不足なのだろう。

 

まずは等身大の自分を自分で理解して、力をつけていくほかはないのかもしれない。