自分自身の過去や今について気づくことも、だんだんと小さなことが多くなってきた。
しかし、それでいい。
ちょっとしたことでも、どんどん気づきを増やしていく。
そして、アダルトチルドレンとしての私の生きづらさにつながっているものは、徹底的に潰していく。
今日は割と調子がよかったが、夕刻になってやはり、怒りのフラッシュバックが襲ってきた。
ただ、それと同時に、「自分はかわいい」「自分はよくやっている」みたいに認める気持ちもやってきた。
意識してそのように思おうとしたのではない。
自然にふと、そうなった。
それはスーパーにいる時で、いつも通りの買い物をしている人が私以外にもたくさんいた。
買い物客たちは、かつてに比べたらかなり現実感ある感じで、自分の目に入る。
そして、このようにも思う。
「みんな、なんだかんだ言って、自分はかわいいんだよな」
かつての私自身は、自分自身がかわいいなどとは思えなかった。
今もまだ、そんなことを心から信じきれるわけではないけれど。
自己否定が抑うつや苦しい思いにつながっていると何かで知って、「自分はかわいい」と思おうとしたことはあった。
しかし、考えて思おうとしても無理である。
頭で考えようとすると、どうしても「〇〇だから」みたいな理屈が割って入ってくる。
必要なのは、理屈抜きで自分の存在を認められること。
無意識に、理屈抜きで無条件に、「自分はかわいい」と認めることである。
では、そのようになれたら、私はどうなるであろう?
特定の誰ということではないが、相手の存在も無条件に認めてあげられるようになるだろう。
逆に言えば、自分を認められない人は相手も認められず、それが今の私でもある。
それが、相手を認め、尊重し、精神的にも大人として対等になることができれば、今よりずっと生きやすくなるように思う。