アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

カブトムシに芸を仕込もうとして、怒り出した親

離婚し別居ではあるが、私にも子どもがいる。一人の親である。

 

今もたまに会う。また、子どもが本当に小さい頃(今も小さいが)の数年間は、一緒に暮らしていた。

 

そんな自分自身の、子供に対する接し方を省みても、母親が何を考えていたのか理解できない。

 

 

なにも、私自身の子供への接し方が完璧で間違っていないなどと言うつもりはない。

 

むしろ、離婚して育児参加できていないことを考えれば、よろしくない親である。

 

また、どんな親だって一人の人間で、完璧ではないし誤ちをおかすこともあろう。

 

 

しかし母親が、子供の頃の私に対し、

 

なぜ、いつも自分の意見を無視して勝手になんでも決めたのか?

 

なぜ、他の子供や親類とそんなに比較したのか?

 

なぜ、やらなくてもいいしやりたくもないことを無理にやらせようとしたのか?

 

そしてこうしたことに対し、母親自身の思う通りに私が行動しないと、ムキになって怒り出したのである。

 

私が本心で楽しんでいたことまで取り上げて、やらせようとしたのである。

 

 

こうしたことは、今もって全く理解できない。

 

まだ幼な子ではあるが、私自身も子供に対し、「もっと挑戦した方がいいな」や「それよりもこっちを学んでほしいな」と思ったりすることはある。

 

でも本人の意見や意思は聞くし、なにも無理やりやらせようとまではしない。

 

「こうしたら楽しくない?」みたいに伺うか、やらせてみて関心を持たなかったら、その時点で一旦は終わりである。

 

しかし私の母親は、私が意思や意見を言っても無視したし、興味関心のないこと(かつ、興味関心がなくてもかまわないこと)も無理やりやらせようとした。

 

そんな母親のメカニズムが、私にはよくわからないのである。

 

 

養老孟司は、「子どもは自然の存在」だという。

 

だとすれば私の母親は、カブトムシに芸を仕込もうとして、できないと怒り出しているようなものではないか。

 

 

私は、子育てを離れている。

 

だから、子育ての難しさがわかるかと言われれば、返す言葉はない。

 

しかし、大人として間違っていたことは間違っていたと私自身が考え、知らなければ、アダルトチルドレンである私は前に進めないのだ。

 

生きていることの苦しさから解放されないのだ。

 

 

そして、私の分まで真剣に子育てをしている元妻には、感謝しかない。