アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

iPhoneやシャンプーやリンスや歯磨き粉から、私の何がわかるか

私は、私でいい。

 

それは最近、なんとなくわかってきた。

 


しかし、まだピンとこない。

 

なにせ、はるか昔に「あなたはダメだ」と思い込まされ、かつそれが30年ほど続いていたのだ。

 

短時間でピンとこないのは仕方がないかもしれないと思う一方で、ピンとこないことに、なんだか腹が立ったりする。

 


そんな一方で、同時に、別のことにも理解が及ぶようになった気がする。

 

アダルトチルドレンを克服するということは、自分の人生を取り戻すこととイコールだと思っている。

 

それはまたつまり、自分の人生に、責任を持って生きること。

 

これは当たり前のようだけれど、ずっと自分が自分でないような解離があった私は、この意識がまるでなかった。

 

恥ずかしながら、である。

 

理屈で考えると、自分が自分でない感覚があるということは、自分の人生はほかの何かが常に決めている感覚だということ。

 

だから、自分の人生に責任などというのも、存在しなかった。

 

良いことが起きても悪いことが起きても、責任が取れないのが私であった。

 


とはいえ、責任を負うということに対して、一瞬、重荷になるような考えも浮かぶ。

 

しかし、すぐに「そんなことはないな」と思い至る。

 

責任を負うにしたって、アダルトチルドレンを克服して、自分の人生を自分の手に取り戻した方が、絶対にいい。

 

責任を負うのと引き換えに、言いようのない生きることの苦しさを負わなくても良くなるのであり、自分が自由に物事を見て、考える権利が得られるのならば、その方がいい。

 

「私は、私でいい」にピンときて、実感を持てるようになった時が、真にそうなった時だと思う。

 


さて、今日も少しだけ、自分自身を明かす作業へ。

 

といっても、何を題材にすればいいだろうと考えたところで、今日は適当にiPhone

 


私はガラケーからスマホにした当初から、プライベートはiPhoneしか使っていない。

 

最初は、iPhone4sだったと思うから、10年以上は経つだろう。

 

iPhoneはそれまでのガラケーと全く違い、最初に箱から出すときに、まるで贈り物のようにキレイにデバイスが入れられていて、感動となんだかカルチャーショックみたいなものを一緒に感じたのを覚えている。

 

それが理由なのかはわからないけど、スマホを買い替える時はiPhone以外は見向きもしない。

 

Androidとは操作なんかが違ったりするから、単に切り替えるのが面倒くさいというのもあると思うけど。

 

ともかく、コーヒーと関連しては探求が好きだと言いながら、スマホについては探求しない。

 

全く逆である。

 


しかし、iPhoneについては私と同じような人がきっと多いと思う。

 

とはいえ、ここで問題にしているのは、他人と比べてとかそういうことではなく、私自身がなぜそうなのかということ。

 

やっぱり、使っていて特に文句も無いものだから、切り替えるのが面倒だという理由が大きい気もするけど、他にも私には、iPhoneほど長くではないとはいえ、他にも「それしか使ってない」というものがいくつかある。

 

シャンプー、リンス、歯磨き粉。

 

これらも、文句はないし、切り替えようとしてどれがいいだのと考えたりするのが、面倒だからかもしれない。

 


では、iPhoneやシャンプーやリンスや歯磨き粉から、私の何がわかるか。

 

一途な面があり、面倒くさがりな面もある。

 

本当はもっと深堀したいけど、今日はこの辺にしておこう。