人生に、勝ち組、負け組はない。
私はそう考えているし、またそれを競うような考え方も嫌いである。
その人が、その人らしく、総合して満足して暮らすことができるなら、そこに勝ち負けはない。
また、仮に満足しない状況になったにしても、そこには何らかの支援があってしかるべきだと思う。
しかし、「勝ち組思考」と「負け組思考」は存在すると、私は思う。
なにせ私が常に「負け組思考」であり、それはしっかり親から受け継いだものだったからだ。
怒り、嫉み、憤り、陰口。
私自身、いつもそれらのオンパレードで長い間過ごしてきたが、そこには「自分はいつも負けている」との深層意識があると思う。
そしてこれは、親にもピッタリと当てはまる。
発露には若干の違いがあり、私の場合は怒りと憤りが中心だが、母親は昔も今も、嫉みと陰口がよく口から出てくる。
それでいて、自分で何かを改善したり、向上させようとする意志も意欲も見受けられない。
またそれは、私が子どもの頃より変わっていない(今はもう高齢者だが)。
今、客観的に母親を見れば、なぜそんななんだろう?と思う。
それはしかし、べつにわからなくてもいいのだが、道連れにされざるを得なかったのは悲劇でしかない。
必死に抵抗しようと試みたけれども、嫉みや陰口が多い母親に順応するべく、最後は私も「負け組思考」を自分のものとしてしまった。
しかし、その母親から離れつつある私に本来あるのは、「勝ち組思考」だと思う。
というより、「負け組思考」のメリットなど、何もないではないか。
勝つとか負けるとかの前に、最初からいつも負ける方を選択するような思考である。
どのみち勝つか負けるかは重要ではない。
「勝ち組思考」でいた方が楽しく前向きに暮らせると思うから、私はただそうしたいだけである。
ここでは同じようなことを何度も書いているが、自戒を込めて改めて。
親の人生に、付き添う必要はない。
考え方も能力も環境も、違うのだから。