アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

フラッシュバックこそ、アダルトチルドレン克服のサイン?

「私は弱い」から「私は強い」へ

 

「負け組思考」から「勝ち組思考」へ

 

 

起きているかな?と考えられる変化を、2回続けて書いた。

 

特に意図したわけではないけれど。

 

 

こうした変化は素晴らしいものだと思うし、またこれらの完成形が、アダルトチルドレン克服の時なのかと思う。

 

しかし、考え方を変えるだけで行動も伴い、完成形までたどりつくかというと、そうではないだろう。

 

 

フラッシュバックがあるからだ。

 

フラッシュバックがある限り、完成形まではたどり着かない。

 

私はフラッシュバックの時、怒りの気持ちと同時に、弱くて負け組の思考がぶわっと出てくるが、それがあると「私は強い」も「勝ち組思考」も、自然とどこか疑わしい気持ちになるのである。

 

 

そう考えると、考え方の変化よりもフラッシュバックがなくなることが、克服のサインなのかもしれない。

 

考え方の方は、克服に向かうにつれて自然に変わっていくような気もしている。

 

 

このフラッシュバックだが、私の場合、朝はだいたいやってくる。

 

また日中も、時間は定まらないが、どこかで一度や二度はやってくる。

 

「忙しく何かに集中していれば、そんな昔のことは思い出さないのでは?」と思う人がいるかもしれないが、忙しくてもまったりしていても、不意にやってくる。

 

そしてちょっと、息苦しい感覚も覚える。

 

不意にそんなことが起こるからこそのフラッシュバックであり、やはり病的なものと考えるほかはないと思う。

 

 

それでも、前よりは少々よくなった。

 

フラッシュバックが出たとしても微妙に続かなくなった気がするし、今朝は起きなかった。

 

 

やはり、フラッシュバックが改善することと考え方が変化することは、裏で繋がっているに違いない。