アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

今日は幸せを存分に感じて寝よう

今日は、週に一度のテニスの日。

 

やはり、楽しかった。

 

 

それはもう紛うことなき、私の気持ちでいいだろう。

 

テニスは楽しい、好き。

 

それは私である、と。

 

そんなに上手くはないけれど、好きという気持ちこそ、かけがえのないものだと思う。

 

 

時間を戻せば、私は子どもの頃に少年野球をやっていた(草野球を今でもやっているが)。

 

しかし母親は、私が野球をするのを心よく思っていなかった。

 

当時も薄々感じていたし、後で聞いたいろんな話を繋げても、やはりそうだったようだ。

 

親の当番の強制などはなかったし、今話題になるようなそういう理由ではない。

 

自分に自信がないために、父母同士の付き合いをしたくなかったようである。

 

 

今のところ、そんな母親と同じ性分を辿ってしまっている私だが、もう母親はいないのだ。

 

現実にはいるのだが、私の中ではもういないと、自分に言い聞かせている。

 

少年野球では、自分のやりたいことと、親の希望に反していることの板挟みで、心から楽しむことはできなかったと思う。

 

でも、今はそんなことはない。

 

私はテニスでも野球でも、私が楽しんで、好きであればいい。

 

 

テニスのプレー自体も楽しかったが、今日の私はなんと、ちょっとだけ気さくになってしまった。

 

同じクラスの人と会話することはゼロではなかったが、これまでは自分から話題を広げたりというのはほとんどしていなかった。

 

それが今日は、そんなことが少しできてしまったのだ。

 

相手はちゃんと会話してくれたし、それによって楽しさがさらに増したと思っている。

 

 

また今日は、今では自分は恵まれたんだなと思うことに、気づいた。

 

アダルトチルドレンであり、自分に自信がなく、人付き合いに難も感じる自分を、仲間に入れてくれた人がいたこと。

 

実はテニススクールで一緒の人の、自発的なバーベキュー仲間に入れてもらっているのだ。

 

弱い自己像を持ち、会話もオドオドしてしまい、人付き合いに自信がない自分を。

 

今日はその仲間の人もいて、会話もして、そんな自分でも認めてくれているんだなと、思った。

 

その人だけではないけれど、私は「ありがとう」と言いたい。

 

依存するとかそういうのではなく、一人の大人として。

 

神様でも仏様でもいいけれど、とにかく私をそこまで導いてくれた何かに対しても。

 

今日は、そんな幸せを存分に感じて、寝ることにしたい。