モノに対しては、ちょっとずつ心が開けているような気がする、今日この頃だ。
でも、まだ人に対しては自信がない。
理由は、モノは動かないか動いても予想通りにしか動かないからで、人は動いていてどう反応するかわからないから。
私が話しかけるなりの作用を及ぼしたとして、人が反応すると自分がどう対応すればいいかの自信がない。
もちろん、それでも人と話をしなければならない場面はあり、実際に話している。
でもそんな時、私の心はビクビクしている。
心をギュッと固めて、防御している。
本当は、そんなガチガチに防御などしなくていいのだろう。
相手が剣や槍や弓を持っていなかった時でさえ、私は盾で全身を隠し身構えているようなものである。
そう例えると、全くバカげているのは自分でもよくわかる。
相手もどう対応していいか困るだろうし、これでは人と心が通う関係を結べないことは、言うまでもない。
そして私はなぜ、このようになってしまったのか?
結論を先に言えば親が原因であるが、私はずっと、自分が悪いと考えていた。
しかし、思い当たる節はない。
なんだかよくわからないが、自分が悪い。
そんなだから対策をとりようもないまま、今日まできてしまったんだと思う。
人付き合いに限らず、なんとなく生きづらさを感じていることの解決策を。
心から思うところでは、自分が悪いなんて考えていなかったと思う。
自分が悪いと思おうとしていた、だけ。
自分が悪くても親が悪くてもどのみち、解決は自分がやらなければいけないが、しかし原因に対する理解が間違っていたために、ずっともがいていただけだった。
誤った自責の念を持っていたのは、「親には感謝しなければならない」みたいな固定観念がまずあったことが理由。
さらに私は、自分自身の感覚で物事を捉える力が全くなかったために、無条件にその固定観念を持ち続けていた。
またさらに言えば、私から感覚を奪ったのも親だ。
こうしてつまるところ、私は家庭内で徹底的に支配⇄服従を強いられていたのである。
今は自分でも理解できる、腑に落ちる原因が見つかったので、解決のしようがある。
さあ、これからだ。