無理して回避をしない、回避行動を取っていた私
今週初めのEMDRの後に顕著になった、胸の痛みや息苦しさ。
これは、トラウマ反応と考えてよかろう。
今それは、少し治まってきた。
しかしその後は、自分がこんな状況に遭わなければならないことについて、たいそう悲しい気持ちに襲われるように。
それを全く知らず、昔と変わらない毒親ぶりを見せる親を見ると、「てめぇ絶対に許さないからな」と言いたくなるものである。
怒りの気持ちではなく、復讐を楽しんでやりたい、みたいな感じで。
親に対して持つ気持ちがあるとするなら、アダルトチルドレンさえ克服できれば、残酷でもなんでもいいのだ。
ただ、怒りの気持ちはよくない。
怒りは、まだ親に支配され振り回されていることの証だからだ。
私の場合はここまでの過程において、怒りはほぼなくなった。
それはそれとして、また別のトラウマ反応を、ここ数日間で強く実感した。
これまで、自分でも気づかなかったトラウマ反応。
それは、「回避」である。
私は、人に非難されることを強烈に恐れて、これまた強烈な回避行動を取ってしまっている。
いや、表向きは回避していない。
しかし、無理して回避をしていないのである。
体と心は強烈に回避しているのに、無理してやる。
無理をしているから、心がボロボロになってしまっていたのだ。
何を回避しているかというと、端的には仕事である。
心と体は強烈に仕事を回避しているのに、無理をしてやっている、ということだ。
ただ、どう考えても何らかの仕事はしていなければならない。
だとすれば、無理してやっているという状態をなくす=トラウマ反応をなくす、しかあるまい。
なお、ここで言う無理してやるというのは、仕事の適不適とは関係なく、どんな仕事であっても、というレベルのことである。
とはいえ、回避行動が消えた状態、つまりトラウマが消えた状態というのを、全くイメージできない。
そしてそんな自分を顧みる時、アダルトチルドレンの克服は無理なのではないかと、とてつもなく悲観的になる。
絶望すら感じる。
その他、価値観のことで頭が混乱したりなど、とにかくこの一週間は重症であった。
またこの一週間と言わず、私はかなり重症なアダルトチルドレンである気もしてきた。
そんなこんなではあるけど、どんな困難があろうと、私は「普通に暮らせるようになる」決意である。