世の中は愚痴や文句が多くて、暗い。
私はずっと、そう信じていた。
子どもの頃の家が、いつもそんなだったから、世の中みんなの家もきっと同じなんだろうと思っていた。
ところが、そんな私の認識は、間違っていたらしい。
愚痴や文句が全くない人は稀有かもしれないけど、家庭の中で日頃からそれを当たり前のように吐く人は、お世辞にも立派な人とは言えないらしい。
まして、子ども相手にそんなことをしたり。
もちろん、私の親のことである。
世の中を暗いと信じていたというのは、見方を変えれば、そんな世の中しか私は知らなかったということだろう。
常に「暗い」というフィルターを通してしか、世の中を見ることができなかった。
では、そんな私が新たに知った世の中というのは、どんなようなものなのか?
実はそれが、まだ定かでない。
いや、だいたいはわかっているのだけど、全然我がものになっていない。
わかるのとできるのとは違う、みたいな状態である。
そんな中にあって、私は今、自分の中で当たり前のように出てくる思考を、常に疑っている。
「自動思考」とも言うらしいけど、とにかくそれを振り返って疑う。
「これは親の価値観や思考回路であって、実は何の根拠も無いではないか?」や、「自分自身は、本当にそう思うの?」みたいなことを、時間があれば常に反省している。
すると、やっぱり自分の思考はただ親をなぞっていることが多いと思う。
反省しなかったならば、さも当然のようにそうなり、またそれを疑うこともしないであろう。
なんとなく自分のものではないという違和感を感じても、結局スルーしてしまう。
事実、スルーしたままつい最近まで生きてきたのが私である。
しかしこの、ただ親をなぞっただけの思考に気づくのは、さほど難しくない。
ところが、ではそれに代わる私本来の心のありようや思いはなんだろう?と考えた時、とても混乱してしまうのだ。
もちろん、頭に浮かぶものはある。
ただ、それが本当に私本来の思考から出たのかは、自信の程がかなり脆弱なのである。
胸を張って言っていいものなのか、迷いが生まれるのだ。
理由は、これまで長きにわたり、私本来の心のありようや思いなど、亡き者にしてきたからだろう。
これは、親離れした私の心についての問題であり、おそらくとても重要な問題だろうけど、解決の糸口はまだまるで見えていない。