アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

普通に仕事をして、たまに運動して、たまにゆっくりして…

前に住んでいた家で、私はアメリカのトランプ前大統領と話をした。

 

 

そんな夢を見た。

 

 

この夢が、私のどこから出てきたのかは、全くもってわからない。

 

 

そんなことはどうでもいいのだけど、私がアダルトチルドレンの克服に取り組み始めてから、ちょうど6ヵ月目に入る。

 

カウンセリングなどを受けても、克服にはだいたい半年から1年以上かかるということをあちこちで見聞きしており、それを踏まえるとそろそろ、自分のここまでの歩みはどうだったであろうかと考えてみたくなった。

 

もちろん、期間など人それぞれだろうし、私もはじめからいついつまでに克服したいなどと、考えていたわけではない。

 

早いに越したことはないと思うけど。

 

 

これまでの5ヵ月を振り返ると、とにかく「おかしなこと」への気づきとその確信が多かった。

 

大きく言えば、「自分のものの見方や思考の習性の異常さ」と、その原因となる「親のおかしさ」である。

 

これらはアダルトチルドレンの克服に取り組み始める前から、薄々感じてはいたものだった。

 

しかし、それをそうだと思わないようにしようとしていた自分がいた。

 

でも、やっぱりおかしいことはおかしかったと、ハッキリ確信したのがこの期間だったと言える。

 

アダルトチルドレンの克服に取り組まなければ、私はたぶんかつてのまま、この問題をスルーしていたであろう。

 

こんなに自分と自分が育った環境について考えたことは、かつてなかった。

 

 

では、今の段階とこれからは、どうなるのだろうか。

 

「これから」の部分については、自分でもよくわからない。

 

ただ、今すべきことは、思考と行動の回路を、親に邪魔されない状態に戻すことである。

 

ここはまだ、かつてとあまり変わっていないように考えていて、もどかしい。

 

 

逆に言えば、それをもどかしく感じるのは、親に邪魔されない思考と行動の回路を回転させていた過去が、私にもあったからであろう。

 

それがどんなものかわからなければ、戻れないことにもどかしさを感じることはないはずだ。

 

親に邪魔されないで、思考と行動の回路が働いていた時は、生き生き感が感じられる。

 

それはもう30年以上も前のことだったけど、今は昨日も書いたように、時々、時々、その感覚が我に返ってくる。

 

 

これをいつでも維持できるようになったら、それで克服をしたのか、次にクリアすべき壁が出てくるのかは、わからない。

 

ただ、そろそろ、アダルトチルドレンを克服したら私はどうなっていたいのかを、最近は考えたりもする。

 

考えるといっても、考えるまでもないことだけど。

 

「人並みに、自活できるようになりたい」

 

金持ちになりたいとか、海外に行きたいとか、そんなことまで望まない(そうなれる、できるのであればそれを否定はしないけど)。

 

普通に仕事をして、たまに運動して、たまにゆっくりして、ささやかに世の中に貢献できればそれで十分である。