最近、「バカになれ」というのをたまに、自分に言い聞かせる。
「バカにならなきゃ!」みたくそんなに差し迫ってではないが、きっとその方がいいんだろうなという、ふわりとした思いである。
バカというのは、勉強がどうとか頭がどうかということではない。
「感じたり思ったまま、素直になろうよ」みたいな感じだ。
周りがどう思うかとか、こうすればああなってしまうだろうとか、考えずに。
逆に言えば、今までずっとそんなことばかり考えてきたわけで、その訳は、バカになることを禁じられて育ってきたからだ。
「笑われないようにしなさい」みたいなことを、ことあるごとに言われていた。
今もって母親は、そんなことしか考えていないようだけど、それは私にとって??????????である。
私は、人が何かしたのを見て笑ってしまうことはあるかもしれないけど、だからといってその人をコケにしたり見下したりはしない。
母親はそれをするのであろうし、逆にされることをひどく恐れてもいる。
その精神構造は、謎である。
話は戻り、「バカになれ」とは自分に言い聞かせているものの、しかしこのままいけば、自然にそうなるのではないかという気がしている。
アダルトチルドレンを、きちんと克服できたら。
私は思うに、立派な大人も必ずバカな部分がある。
あなたもバカであり、私もバカである。
だから協力し合い、支え合うことが必要なのだと思う。
今度は話が変わり、2月になった。
せっかくだから2月をテーマに、話を深堀りしよう。
私は2月が、1年で一番嫌いだ。
理由は、寒いのが嫌いだから。
寒いと着こまなければいけないし、すると動きづらくなる。
外でトイレに入ったらいちいちコートを脱いで掛けて、みたいなことも面倒だ。
昨年の冬までは割と雪の多いところに住んでいたけど、雪が降ろうものなら必要なものを買いに行くことすら面倒で、今家にあるもので何とかならないか考えたりもした。
雪は、たまにそういうところに行くのはいいのだけど、日常生活に入ってくるともう嫌である。
そういえば、雪国に住む前はずっと首都圏にいて、冬は外をよく走っていたものだったけど、雪国ではそれは全く不可能であった。
休みの日に気分転換の運動もできず、外に出ることが減り、家に引きこもることが多くなった。
年末年始も、大みそかから三が日にかけて近くの薬局とスーパーしか行かなかったことが、2年続いたと思う。
ただ、それはコロナのせいもあったかもしれない。
今年の正月は久しぶりに首都圏で過ごしたけど、雲一つないきれいな空には、感動したものであった。
今年の2月は天気がいいので、だいぶ救われている。
しかし、久々に首都圏に帰っても、やはり2月は好きではないと思った。
続きで書こうとしたことはまだあるけど、長くなるから今度にしよう。