アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

私にとって、自分の存在と足跡を確認できだ、初めての卒業式

実家に戻り、最初のウィークデーが終わった。

 

 

とはいえ、まだ色々と慣れていない。

 

まだ荷物がきちんと整理できておらず、あれはどこだこれはどこだをやっているというのがある。

 

また、離れた地方から首都圏に戻ってきた。

 

その地方には、7年くらいいただろうか。

 

首都圏には慣れているつもりでも、そのくらいいれば、かなりの程度は地方暮らしに馴染んでしまったようだ。

 

天候は、大きく違う。

 

空気や流れてくるニュースの質などは、微妙に違う。

 

環境の変化に、体も脳もまだ、順応していないようである。

 

 

それに、これまでルーティーンのように行ってきたことが、まるでリセットされてしまった。

 

野球にテニス。

 

どうしようか、考えようである。

 

こちらの暮らしでは2つやるのは難しいかもしれない。

 

ただ、追々決めていけばいいと思っている。

 

 

変わらないのは仕事と、当面の必達目標。

 

目標はもちろん、アダルトチルドレンの克服。

 

というか、戻ってきた大きな理由の一つは、この目標である。

 

 

今週は慣れない暮らしに精一杯、というほどでもないが、多少はあたふたしている中で、この目標が少し頭から飛んでいた。

 

一方で、少しだけ話を戻すと、ちょうどこちらに来る日より遡っての数日間、しかと自分自身の存在を感じられる物事に出会っていたのだった。

 

 

思いがけないサプライズと贈り物は、テニス仲間から頂いた。

 

野球仲間からは、寂しいけど元気でなと言ってもらえた。

 

 

いずれも趣味関係であり、続いていた以上は基本仲良しグループであったのは当然だが、それでも私がそれぞれの中で、少しだけでも自然に自分の存在を出すことができたのは、最後の数ヵ月くらいである。

 

7年近くいても、私はそのほぼ全部がアダルトチルドレン真っ只中の状態で、一応参加はするのだがビクビクしていたし、自分の存在価値もわからなかった。

 

 

それなのに、送別をしてもらえた。

 

これは純粋に嬉しかったし、その嬉しいという感じがまた、自分事だと思えた。

 

みんな私を認めてくれていたし、そんな集団の中にいた私というのをまた、自分自身でも認めることができた。

 

 

これは理解できない人が多いかもしれないが、私は今回の別れの一区切りについては、小中高大学のいずれの卒業の時よりも、感慨が深かった。

 

というより、今回味わえたような感慨は、各学校を卒業するときにはなかった。

 

ただ、流されるまま卒業して、さようなら、だけ。

 

区切りによって、そこで過ごした自分の存在と足跡を確認できるようなことは、ついぞなかった。

 

 

今回は嬉しさに加えて、もちろん、寂しさもある。

 

でも、「私は生きなければならないから、頑張ります」。

 

そんなことまでは言っていないけれど、みんなには感謝したいし、その気持ちを糧にして頑張りたいと思う。