生きていれば、色々なことが起こる。
つい最近、停電した。
外は暗い時間で、かなり寒い中。
できることとは、スマホでできる予約とかだけ。
それでも、自分のいじるスマホしか光源がないのは、奇妙に感じたものだった。
そんな時、かつての私であれば、激しい怒りの気持ちで頭がいっぱいになったであろう。
そして、現実から解離していったであろう。
世界は、「俺をこんな目に合わせたしょうもない世界」にしか映らなかったはずだ。
今回の出来事では、それがなかったのである。
もちろん、困ったことがあったのは確かで、「早く復旧してくれよ」くらいは思った。
でもメインで考えていたことは、「この状況でできる最善のことは何か」であった。
自分では、どうしようもないのだから。
この変化で考えたことは、やはり、私は現実を見られるようになってきている。
「自分では、どうしようもない」のは当たり前だし、それはかつての怒っていたであろう私でも、頭では理解できる。
しかし、無意識に出てしまい、戻ることのない反応は、自分を酷い目に合わせた物事に対する怒りだったはず。
一方で現実は、「世界は、自分を中心に回っているわけではない」である。
その現実を、私はようやくきちんと理解しはじめたのではなかろうか。
今回の出来事を振り返ると、厄介な目に遭ったことは確かだが、不思議なことに、「俺も生きてるんだなぁ」と、ふと思ったりもした。
やはり、頭で考える世界でなく、現実の世界を見ることができると、自分が生きている実感が持てる。
まわりくどい書き方をしたが、それは当たり前のようでもある。
しかし、理解できていなかった私。
私にとって世界は、自分を中心に回っているものだった。
そこにとんでもない幼稚性があったこともまた、すごく理解できた気がした。
この幼稚性の原因は、やはり幼少期にあるだろう。
これまでに書いたことの繰り返しになりそうだが、改めて整理してみたいと思う。