今も本当は、普通に働きたい。
しかし、根本的な病が良くならない限り、人並みに働くのは難しい。
解離もあるしフラッシュバックもある。
体が問題ないだけに、もどかしい思いが生まれてくる。
そんな中にあって、自分が本来感じることや考えることは、どんなだろう?と思う。
でもそれって、考えて出てくるものではないのでは?と、ふと考えたりもする。
誠にそうだろうと思う。
本来感じることや考えることは、自然に湧き出てくるものだろう。
それが、現実をしっかり認識している中で出てきたものであればオッケーだ。
以前よりはだいぶマシになったが、そのあたりの自信がまだない。
鎖に繋がれた像の話がある。
それと同じように、頭では色々理解できたことがあっても、思考を含む行動様態は、簡単には変わらない。
今までと違う感じ方考え方ができているなと思う時があっても、「本当のお前はそうじゃないだろう。元に戻れ!」と、私の足を引っ張る力が確かにある。
その力の強烈さといったら、すごい。
象のたとえ話は知っていたが、実際にここまですごいとは。
でも私は、振り払わなければならない。
振り払うべく、格闘している最中である。
そのために、実際問題として私がやっていることとしては、「思ったことを言語化してみる」というのがある。
花を見て、きれいだ、とか。
夕日を見て、美しい、とか。
風を感じて、心地よい、とか。
またやっている行為を、言葉にしてみることもある。
私は、歩いている。
草地の柔らかさを、感じる。
そんな具合に。
これは、誰かに教わったり勉強して始めたことではない。
なんとなく、たまにやり始めていたことだ。
とはいえ、言語化することで現実の我に帰れるというか、はっきりと現実の物事を見ているし、感じられることもまた現実なんだという意識が、確かに生まれてくる。
そして、穏やかな気持ちにもなれる。
アダルトチルドレンが、これだけでなんとかなるものではないと思うが、少なくとも自分一人でできる良いリハビリ方法だとは思っている。
きっと効果も大きいし、簡単でもある。
早く鎖をちぎって、自由になりたいものである。