アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

弱々しい自己像に変わる理想はなんだろう?

未だ、グラグラしている私である。

 

自分がまだ地に足がついていないというか。

 

自分というものがすっ飛んでしまい、現実感がない状態になってしまうことが、まだある。

 

そのことに後から気づけるだけでもかなりの進歩ではあるが、気づいた時は、妙な不安に襲われたりする。

 

 

グラグラしているのはたぶん、現時点と理想とするこれからの自分が、まだ不可解だからではないだろうか。

 

理想はもしかしたら、なくてもいいという考え方もあるかもしれない。

 

しかし、誰もが何かしらの理想を持っているというのが私の考え方だ。

 

人によって違いがあるとすれば、言語化して意識しているかしていないかの違いだけ。

 

言語化していなくても、人は無意識に潜んでいる「あるべき姿」を追って暮らしていると思う。

 

さらに言えば、無意識にある理想の方が、強力なのではないかとさえ、思う。

 

 

私が、きっとそうだった。

 

私は、親の歩んでいる弱々しい自己像をトレースして生きてきた。

 

もちろん、そんな姿になりたいと考えたり言ったりするはずはなく、意識するレベルではそれが理想では全くない。

 

しかし、無意識では、そういう親の姿を理想としていた。

 

その理想に沿って、弱々しい自分を作り上げてきたことが、今ではよくわかる。

 

 

私の場合、正しく言うなら理想ではなく強迫観念かもしれないが、とにかく無意識に「あるべき姿」を追い、実現したことだけは確かだと思う。

 

話を戻せば、私を根底から動かすレベルでの理想が今の私にはないから、グラグラしている。

 

弱々しい自己像に変わる、理想を。

 

 

もちろん、理想も口でならなんとでも言える。

 

しかし、自分の意識と行動を根底から動かす、心からの理想こそが、今の私に必要なものである。