アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

自分の本心を明らかにする作業と時間も必要かもしれない

そろそろ一月も、終わりに入ろうとしている。

 

 

なんだか、いつもと比べて長いひと月だった。

 

仕事は忙しくなった一方で、テレビをつければいつも能登半島地震

 

定期的な運動もしておらず、楽しみも交流も無い状態で、代り映えのない毎日を過ごしていたためであろうか。

 

 

すべて仕方のないことだから、文句を言いたいわけではない。

 

そのうち色々変わっていく。

 

実際、テニスは運よく1月からスタートできることになった。

 

引っ越して2ヵ月が経とうとしている今、いよいよ本格始動である。

 

 

しかし、話は変わり、昨日のEMDRの後のドキドキはまだ収まらない。

 

「俺って、これでいいのかもしれない」という、これまでにない自己認識とともに、ドキドキは続いている。

 

 

それと同時に、なんとなくではあるが、過去の経験がどれほどに自分の心の足かせになっていたかが見えてきた。

 

誰もが良いことも悪いことも経験して大人になっていくであろうけど、それを踏まえても、ありふれた一人前の大人であれば持つことのない足かせ。

 

私は、自分の心が全く見えなかった。

 

本当は好きなことを好きと思えなかったし、嫌いなことは好きにならなければいけないように無意識で考え、行動していた。

 

いつもほかの誰かが、私の心を操っている感覚だった。

 

 

そんな足かせから、解放されようとしている。

 

そういえば、最近の過ごし方を顧みて思ったのは、私は学ぶことが好きだということ。

 

難しめの本なども、楽しいか楽しくないかは別にして、何かの学びの足しにはなるだろうと思い、読む。

 

しかし私は、学ぶことをずっと嫌いだと思っていた。

 

正確には、思おうとしていた。

 

子どもの頃、親に言われた勉強をしないことを毎日のように咎められ、それが心底嫌だったから、嫌いだと思い込んでいたような気がする。

 

学ぶことが嫌いなのは、私が見る限り、親自身である。

 

私は今、誰に言われたわけでもなく、何かしらを学ぼうとしている。

 

 

そんなことを考えていると、トラウマの克服と同時に、自分の本心を明らかにする作業と時間もまた、必要かもしれない。