アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

何も悪くないのに怒られていたという事実

アダルトチルドレンを克服する上で欠かせない、子供の頃の振り返り。

 

その中で、一つの重要な事実に気づいた。

 

 

「私は何も悪くなかった」ということ。

 

 

もちろん、学校の先生に怒られたことはあるし、懲罰を受けたことも私にはある。

 

しかし、それは今考えれば、「そのまま大人になっていたら困るだろうな」と納得できる、私の行いと振る舞いによるもの。

 

怒られても平気な顔をしていたのは愛嬌として、納得している今ではいい思い出である。

 

 

しかし、同じ怒られるにしても、家では嫌な思いしか残っていない。

 

結論から言えば、それが、「私は何も悪くなかった」である。

 

例えば、成績が親の理想から離れていて、私の何が悪いのか。

 

学校の成績が悪いくらいで、大人になって困るのだろうか?

 

授業参観で手を挙げなかったくらいで、何か困るのだろうか?

 

もちろん、成績はいいに越したことはないと思うが、そんなものは明らかに落第でなければ、良し悪しは「個性」のレベルだ。

 

事実、私より成績の悪い人はいっぱいいたはずだが、私より社会で活躍できている人もまた、いっぱいいるのである。

 

 

つまるところ、納得できないことで私は怒られていたのであり、その納得できないことは今もって考えても、納得できないのである。

 

子供の頃に納得できなかったこと自体が、やはり正しかったとも言える。

 

 

改めて、私は悪くなかった。

 

今頃はっきり理解したとはいえ、本当はどうでもいいことで私は怒られていたんだろうとは、なんとなくずっと思っていたことだった。

 

しかし、昔の嫌なことなど思い出したくもないから、過ぎたことはいいやと、流していたのである。

 

それが、これから人生を自分の手に取り戻して生きようとすれば、やっぱり看過できないものだった。

 

私は子供の頃、自分が悪くないことでしょっちゅう怒られていて、それをなんとか避けようと自分を抑圧して生きるようになった結果、アダルトチルドレンとなった。

 

 

本当は悪くないことを揚げ足を取るように怒る行為は、人格否定と変わらないだろうと、された側の経験者として思う。