おそらく、私はいつも、体が緊張してこわばっている。
特に何を考えているわけでなくても。
そんな気がしたのは運転中で、なんだか見える景色を自分のものとして認識してないなと思った時、我に帰るというか、自分の見えるものに意識を向けてみようとした。
その時、顔に力が入っているように思った。ひきつるとまでは行かないが、顔の筋肉がこわばってカチカチになっている感じ。
車の中は一人だし、特に何かを考えていたわけではなかったのに、である。
これが、無意識にいつも自分を閉じ込めてブロックする、守ろうとしている証のような気がした。
一方で、最近はそんなブロックを、ちょっと外せるようになったと思うこともある。
それは食べ物を買う時で、例えば今日は春巻きとカステラチョコクリームサンドとやらを選んだ。
カステラチョコクリームサンドは初見。春巻きを知らないはずはないが、どちらも選んだ後で気づいたのは、これまでだったらどちらも「見ていなかった」だろうなということ。
カステラチョコクリームサンドは美味しそうだから、春巻きは久々に食べたいなと思ったから選んだのだが、これまではそんなことは全然思いもしなかった。
食べ物を見て何も思わないなんて、ありえないことのように思う人がいるかもしれないが、私はそうだったのである。
美味しそうだとか思うのではなく、何を食べたら失敗しないかとか、量だけで満足できるかとか、そんなことだけをただ考えて、食べるものを選んでいた。
そんな頭の中で考えた基準だけで選ぼうとするなら、カステラチョコクリームサンドや春巻きは、たとえ物理的には目に入ったとしても、頭では認識しなかった=見ていなかったのが、これまでの状態だったと思うのだ。
最後に選んだのはこの2つだったが、物色している時にはその他もこれまで以上に、よく見えていたように思った。
思ったことが出てきたと同時に、それに従ったのであり、ブロックがちょっとだけ、外れたんだと思う。
そういえば、私は衝動買いをする人の心理が、全く理解できなかった。
それが、「ほしい」とか「いいな」と思うのは、こういうことかと、少しわかった気がした。
私が自分で買い物をするようになったのは、小学生の時に心をブロックするようになった後だから、そんな心理は分からずじまいだった、ということだと思う。
なお、買うものが服の場合、わたしが考えることは「恥ずかしくないか」「かっこよく見られるか」だけである。
「かっこよく見られるか」は服選びの基準としてはあるもしれないが、それが過ぎればどこまでも他人基準で、自分不在になると考える。