アダルトチルドレンの生命力

アダルトチルドレンの克服を綴る日記です。

とうとう正体を現した、トラウマという名のモンスター

昨日のEMDRから一夜明けた今日は、すこぶる調子が悪かった。

 

 

いや、調子が悪かったというのは、少し違うかもしれない。

 

トラウマとなっていた出来事に対する、強烈な悲しみと怒りがどっと押し寄せて頭が回らなくなり、胸がドキドキし、腹の具合も悪くなった。

 

まるで自分の思考と体を、コントロールできない。

 

これにより、トラウマがトラウマであったことと、その強烈さを強く実感したのであった。

 

 

たった今楽しんでいたマンガを取り上げられ、親に目の前で真っ二つに裂かれて捨てられた私は、激しく泣いた。

 

ショックを受けながら、すぐに敗れたマンガにテープで修復を試みた。

 

しかし、どうあっても元の状態には戻らない。

 

私は、打ちひしがれた。

 

以降、私は親と同じ空間にいることを、最大限避けるようになったのである。

 

また、周囲の大人から「いい子」だと思われるよう、大人しく従順になっていったのである。

 

 

出来事とその時の気持ちがありありと蘇っては、胸が痛み、息苦しくなるのである。

 

少し落ち着いたとはいえ、今も頭を抱えてしまうし、悲しい気持ちになる。

 

 

しかし、当時も悲しかったけど、今それを思い出して悲しいと思うのも、紛れもない私である。

 

この出来事の記憶にフタをしていた時にはわからなかった、私という存在の連続性が、これでハッキリした。

 

 

だからといって、私はこの出来事をどう考えたらいいのかは、まだわからない。

 

考えなければいけないのかも、考えなくていいのかもわからない。

 

ただ、消し去れない記憶であることだけは、確かである。

 

おそらく、正面から向き合う以外にはない。

 

 

まだ胸が痛む。

 

とうとう正体を現した、トラウマという名のモンスター。

 

今日は、この辺で終わりにしておこう。

心臓がドキドキして、胸がチクチク痛い

心臓がドキドキする。

 

胸がチクチク痛い。

 

悲しい、切ない、苦しい…。

 

 

EMDRが終わり、帰った後の私である。

 

めちゃくちゃしんどいけど、どうしたらいいか全くわからない。

 

横になって、気持ちを落ち着ける以外になかった。

 

 

くり返しになるけど、本当にしんどくて、かろうじて正気を保っていられるような感じであった。

 

今も、それとほとんど変わらないと言えば、変わらないけれども。

 

 

今日、何度も登場したのは、家では認めてもらえず、いつも精神的に孤独であった少年の頃の私である。

 

どうすることもできなくて、ただ自分を殺しながら、時に泣き叫ぶしかなかった私である。

 

そんな状況で、かつて見た家の中の風景が思い出されたり、悲しんでいる〇〇少年(私のこと)が見えてくる。

 

自分が包丁で刺されているシーンも浮かんできた。

 

全てが悪夢でしかない。

 

 

しかし、こんな状況を生き抜いてきたのは紛れもない私であり、今しんどい思いをしているのも私である。

 

このしんどさで、私という輪郭が、より強くハッキリ見えてきたように思えなくもない。

 

 

これまでは、真面目に振り返ればしんどくなることがなんとなくわかっていた過去を、見ないようにしていた。

 

しかし、見ないようにしたことで、私という人間も自分自身で見えなくなってしまったのであろう。

 

今はその逆をしているわけで、自分自身が見えるようになった反面、しんどい気持ちが半端ないのである。

 

 

その私にあるものは、やはりトラウマと言っていいものなのだろう。

 

だけど、これを克服するとは、どういうことなのか?

 

過去にあったのは書き換えられない事実であり、それを克服するとはどういうことなのか、だんだんよくわからなくなってきた。

 

 

とにかく、しんどい。

 

だけど今は、それを誰かが何とかしてくれることを期待するのではなく、しんどさを自分のものとして実感していることが大事な気もする。

 

私以外に、というより今は私自身もだけど、誰かがどうにかできることではないのだから。

 

 

どうしても、心臓や胸に意識が向いてしまう。

 

自分自身のトラウマが、そんな状態にさせてしまうことまでは想像がつかなかった。

 

その分、アダルトチルドレンの苦しみの根の深さと、そりゃあおかしくなっちゃうよねという納得感を、強く実感するのであった。

自分がやりたいことを見守ってくれる大人たちや理解してくれる親がいる環境

昨日のニュースではあるけど、大谷翔平が結婚したらしい。

 

 

おめでとう。

 

 

私は野球が好きなので、あとは野球でこれまでと変わらず活躍を見せてくれれば、嬉しいものである。

 

仮にこれまで通りとはいかなくても、もう十分賞賛に値する野球選手だけれども。

 

 

一方で、その大谷翔平しかり、藤井聡太しかり、他にもすごいことをやってのける人はいっぱいいる。

 

しかし、そういう人たちの育った環境と、私のそれとはどれほどの違いがあったのだろうかと、考えたりもする。

 

 

もちろん、私自身も環境さえそろえば彼らと肩を並べられる、などと言うつもりはない。

 

彼らに開花する才能や資質が元々あったのかはわからないけど、人並外れた努力や研究をしたことは間違いないであろうし、私がそれに比することをできるかと言えば、できない気がする。

 

だから、ほとんどの人と同じく、ひがむ気持ちがあるわけではない。

 

ただ、ただ賞賛するだけであり、楽しく明るい話題や興奮を提供してくれてありがとうと言いたい。

 

 

しかしながら、そういうスケールの違う実績を残す人たちは、のびのびとやりたいことを満足するまでやらせてもらえる環境があったことは、間違いないだろうと思うのである。

 

少年・少女時代には、それを温かく見守って応援してくれる大人たちがいたことだろう。

 

それでももちろん、成長して大谷翔平になるのは、例外中の例外。

 

むしろほとんどの人は、野球にせよ将棋にせよなんにせよ、面白かったかったからある程度続けられたことはあっても、プロを目ざすほど熱中して真面目に取り組んだわけではなかったであろう。

 

しかし、大谷翔平に比べればそんな凡人であっても、自分がやりたいことを見守ってくれる大人たちや理解してくれる親がいる環境というのは、今、社会で立派に働いて世に貢献している多くの大人たちであれば、経験してきたことだったのではないかと思うのである。

 

 

もちろん、子どもであればどんなこともやらせてもらえるべきだ、と言いたいわけではない。

 

現実には、やりたいことの分野によって程度はあれど、経済力という壁がある。

 

子どものやりたいことを全て叶えられないのは親失格だ、みたいな話はいくらなんでも暴論だ。

 

やりたいことをなんでもやらせてもらえた人は、ごく少数だと思う。

 

 

ただ、子どものやりたいことを理解して、少しでも満足させてあげられないかを考えることはできるだろう。

 

ピアノは買ってあげられなくても、他の〇〇ならどうだろう?みたいに話し合ってみるような。

 

私は子どもにとっては、望みが叶えばもちろんうれしいけど、大切なのはこのように「理解してもらえている」という経験なのではないかと思っている。

 

私が子どもでも、そういうのが理解があれば望みが叶えられなくても納得して、少なくとも自分の希望は否定されていないのだと満足することはできる。

 

 

では私はどうだったかというと、そうした記憶がない。

 

望みが可能であれば「はいはい」、可能でなければ「ダメ」だけであった。

 

なんでダメなのか聞いても、「黙ってなさい」。

 

だいぶ前に書いたけど、「はいはい」と言っておきながら、親自身の好みで私の希望と違うものを買ってきたこともあった。

 

野球はかろうじてやらせてもらえたけど、母親は嫌がっていたのを私は知っている。

 

 

久々に、こねこねと理屈を書いてしまった。

 

ともかく、私は自分が否定されていると感じる環境で育ち、それが今日につながっていることは間違いないと考える。

 

べつに、今私は大谷翔平になりたいと思っているわけではない。

 

なりたいと思ったって、もちろんいいのだけれど(年齢的には全然別の人物が憧れの対象になろうけど)。

 

ただ、私はそんなことよりも、社会で立派に働いて世に貢献している多くの大人たちの仲間入りをしたいだけだ。

 

逆境とも言うべき、子ども時代を克服して。

普通に仕事をして、たまに運動して、たまにゆっくりして…

前に住んでいた家で、私はアメリカのトランプ前大統領と話をした。

 

 

そんな夢を見た。

 

 

この夢が、私のどこから出てきたのかは、全くもってわからない。

 

 

そんなことはどうでもいいのだけど、私がアダルトチルドレンの克服に取り組み始めてから、ちょうど6ヵ月目に入る。

 

カウンセリングなどを受けても、克服にはだいたい半年から1年以上かかるということをあちこちで見聞きしており、それを踏まえるとそろそろ、自分のここまでの歩みはどうだったであろうかと考えてみたくなった。

 

もちろん、期間など人それぞれだろうし、私もはじめからいついつまでに克服したいなどと、考えていたわけではない。

 

早いに越したことはないと思うけど。

 

 

これまでの5ヵ月を振り返ると、とにかく「おかしなこと」への気づきとその確信が多かった。

 

大きく言えば、「自分のものの見方や思考の習性の異常さ」と、その原因となる「親のおかしさ」である。

 

これらはアダルトチルドレンの克服に取り組み始める前から、薄々感じてはいたものだった。

 

しかし、それをそうだと思わないようにしようとしていた自分がいた。

 

でも、やっぱりおかしいことはおかしかったと、ハッキリ確信したのがこの期間だったと言える。

 

アダルトチルドレンの克服に取り組まなければ、私はたぶんかつてのまま、この問題をスルーしていたであろう。

 

こんなに自分と自分が育った環境について考えたことは、かつてなかった。

 

 

では、今の段階とこれからは、どうなるのだろうか。

 

「これから」の部分については、自分でもよくわからない。

 

ただ、今すべきことは、思考と行動の回路を、親に邪魔されない状態に戻すことである。

 

ここはまだ、かつてとあまり変わっていないように考えていて、もどかしい。

 

 

逆に言えば、それをもどかしく感じるのは、親に邪魔されない思考と行動の回路を回転させていた過去が、私にもあったからであろう。

 

それがどんなものかわからなければ、戻れないことにもどかしさを感じることはないはずだ。

 

親に邪魔されないで、思考と行動の回路が働いていた時は、生き生き感が感じられる。

 

それはもう30年以上も前のことだったけど、今は昨日も書いたように、時々、時々、その感覚が我に返ってくる。

 

 

これをいつでも維持できるようになったら、それで克服をしたのか、次にクリアすべき壁が出てくるのかは、わからない。

 

ただ、そろそろ、アダルトチルドレンを克服したら私はどうなっていたいのかを、最近は考えたりもする。

 

考えるといっても、考えるまでもないことだけど。

 

「人並みに、自活できるようになりたい」

 

金持ちになりたいとか、海外に行きたいとか、そんなことまで望まない(そうなれる、できるのであればそれを否定はしないけど)。

 

普通に仕事をして、たまに運動して、たまにゆっくりして、ささやかに世の中に貢献できればそれで十分である。

おぞましく思ってしまうことが多くなった

ここ最近、気持ちの浮き沈みが激しいと書いたところだけど、特にこの2日ほどは、その沈んでいる時におぞましく思ってしまうことが多くなった。

 

子どもの頃に見た情景や記憶が思い出されては、なんだかもう絶望的なのではないかと思うことが、多々ある。

 

私は、自分を認めてもらえて、安心できる家庭がなかったのだ。

 

 

物理的に叩かれたことが無いではないけど、身体に影響するような虐待は無かっただけ、まだよかったということはできる。

 

でも、それで「そんなの昔のことじゃん」で済まされないのが、アダルトチルドレンである。

 

それで済まそうとしたけれども、苦しさは続き、済ませられないから今こうして、その克服に取り組んでいる。

 

 

過去の自分が思い出される時、今の自分から見てかわいそうだったなと思う気持ちも、少しある。

 

しかしそれよりも圧倒的に大きいのは、「なんなんだこの劣悪な環境は」という恐ろしさである。

 

いつも自分優先で、私を理解することなど考えない親。

 

見栄ばかりを気にして、取り繕うことだけ要求する親。

 

愚痴、文句、不満を私にぶつけてくる親。

 

そんな状況から逃れられなかったのは、悲劇でしかない。

 

生き地獄と言っても、誇張ではないと思う。

 

 

苦しい気持ちが出てくるけど、これもまた、乗り越えなければならない壁なのだ。

 

職場や友人に、私が取り組んでいることを言うことはあるけど、それを本当に理解されることはないだろう。

 

苦しんでいることを、わかってもらえているだけありがたい。

 

それでいいと思っているし、これは最後の最後まで、自分で解決しなければならない問題なのだ。

 

 

そんな中にあって不思議なことだけど、一方ではふと、我に返るような感じで、私が私であった頃の感覚のようなものが、ふわっと蘇った気がする時がある。

 

本当にふわっと、軽く、一瞬だけど、親に邪魔をされていない私本来の姿、みたいな感覚だ。

 

その瞬間だけは、郷愁めいたなつかしさが頭をよぎったりもする。

 

 

とはいえ、やはり圧倒的に多いのはおぞましく思う気持ちであり、そこから昔の自分をかわいそうに思ったり、よく頑張ったと認めてやりたくなったり、もうここまで生きてしまった以上はもう救いようないんじゃないかと絶望を感じたり…と、まるでまとまらない状態だ。

 

それはまだ、子どもの頃の自分に決着がつけられていないということだろう。

 

今はどうしたらいいかわからないけど、決着をつけるべく、常に模索していくしかない。

 

決着がつけられたら、強くしなやかに生きられるのだろうか。

 

 

あっ!

 

今、ふと我が蘇った!

花粉症でわかった自らの成長

昨日は頭が痛かったけど、かなりすっきりしてきた。

 

しかし、薬の副作用か、お腹が緩い。

 

お腹の薬ももらっているのに。

 

こっちがよくなれば、あっちが悪くなる。

 

なかなか楽にはならないけど、これが現実で、私は生きている。

 

 

ただ、かつてはこのようなことになった時、誰に向かってとはなしに「誰かなんとかしてくれ~」みたく、叫ぶような気持になったものだった。

 

同時に、それが満たされないむしゃくしゃが襲ってきた。

 

おそらくそれは、私の「子どもの部分」であっただろう。

 

ただ誰かに、無条件にどうにかしてほしいのだ。

 

しかし、大人になった以上、それは叶わない。

 

それもわかっているから、むしゃくしゃするしかなかったのだ。

 

 

花粉に襲われている今も、むしゃくしゃするという部分では昔とは変わらないけど、その中身はだいぶ違っているように思う。

 

「誰かなんとかしてくれ~」みたいな気持ちはなかった。

 

あったのは、花粉の恨めしさである。

 

その上で、これではどうにも仕事にならない状況において、自分が取りうべき最善の道は何かを考えた。

 

ちょっと、もうろうとしながら。

 

結果、休むことにした。

 

溜まっている仕事もなかったし、べつに今日休んでもよかろうとのことだった。

 

その結果は、自分が負えばいいのだから。

 

特に迷惑をかけたりというのは、無いだろうけど。

 

 

また、かつてであればこんな状況になっても、「休んだら他人にどう思われるか」を考えてしまっていた。

 

カッコ悪いとか、情けないとか、思われるだろうと考え、ただでさえある体の苦しみに、精神的な苦しみが加わったのである。

 

今回も、そんな思考がちらっと姿を現したけど、「うるせぇこの苦しみは俺しかわからないんだ」みたいな感じで、はねのけた。

 

 

そんなこんなで、「生きている」=「現実」=「責任」のつながりが、私にもようやく見えてきたのではないかと思う。

 

しかし、現実が見えてきたところで、この先とるべき道はまだ、わからない。

 

生活とか、仕事とか。

 

この2つは不可分であるし、選択肢がたくさんあるわけでもないけれど。

 

しかし、そもそもまだアダルトチルドレンを克服できていないわけで、先のことを考えては今焦ってはならないと、自分に言い聞かせてもいる。

 

 

ともあれ今のこの状態は、毒親の元に生まれてしまった私の運命でしょうと、考えるほかない。

 

毒親を許しはしないけど、自分の運命は受け入れる。

 

逆に、運命は受け入れるけど、許しはしない。

 

その構図しか、成り立たないだろう。

 

 

今日も私は、生きている。

 

子どもの頃から、頑張って生きてきたのである。

恐ろしくも自分にも当てはまる事柄が多々ある「生き写し」

花粉症が、ひどい。

 

頭がガンガンするとまではいかないけど、感覚としては痛いというそのもの。

 

関節も、しかり。

 

体に力が入らない。

 

久々に首都圏に帰り、覚悟はしていたけどここまでとは。

 

今日は午前中に医者に行き、帰ったら寝ているしかなかった。

 

 

まだ頭がボーっとしている中、これを書いている。

 

ずっと「しんどい」と言っていたいところだけど、そんな状態でふと、不思議と我に返るような瞬間が何度かあった。

 

「俺は、生きている」

 

このしんどさは、自分しかわからない。

 

もちろん、似たような状態を経験する人は、日本中を見渡せばたくさんいるだろう。

 

しかし、今この瞬間のしんどさを経験しているのは、私だけなのだ。

 

これが今後、どういう方向に向かおうとも、その結果を受取るのは自分である。

 

楽になろうが、拷問のような辛さがしばらく続こうが。

 

「誰か楽にしてくれ~」という気持ちもあるけど、私が何もしなければその可能性はない。

 

子どものように面倒を見てくれる人がいるわけではないのだから、自ら何らかのアクションを起こして初めて、その可能性も出てくる。

 

出てこないかもしれない。

 

スリル、というとちょっと違うかもしれないけど、そんな未知の先に思いを馳せる時、「あぁ、俺も生きているんだな」と思った。

 

 

そんな一方で、花粉症については二言三言、母親と会話を交わした。

 

それについての私の感想だけ述べると、「べつに、そんなこと言ってるんじゃねぇよ」であった。

 

やっぱりなんか、解釈がズレている。

 

とはいえ、誰と話をするときでも、解釈がズレてしまうことはおかしくないことかもしれない。

 

しかし母親は、そこで自分の理解で完結してしまう。

 

だから、共通理解が生まれない。

 

それは今思えば、子どもの頃から同じで、私が何かを訴えたところで母親は母親ですぐ完結してしまうのであった。

 

今も昔も、こちらの話を聞いてもらえている感じがない。

 

ちなみに今回の例では、「べつに、そんなこと言ってるんじゃねぇよ」とは思っただけで言っていないものの、言ったところで「じゃあ、どういうことなの?」と聞かれるわけでもなく、また母親自身の勝手な解釈だけが出てくるだけなのは明らかである。

 

それが続くと、こちらが一方的に母親の話を聞いて理解してあげなくてはならないみたいになるのが常であった。

 

実際のところはこんなわかりやすい展開にはならないが、昔も今も母親と会話をすればこのような感じで、いつも理解してあげるだけの側に回らなければならないのである。

 

 

ただ、そんな母親を見ていると、恐ろしくも自分にも当てはまる事柄が多々ある。

 

違いは、母親がそのおかしさに自分で全く気付いてなくて、私は気付くことくらい。

 

気付いていなくても、違和感を感じてしまうのが私であった。

 

今回の会話の件についても、「あっ!?俺も!?」と思ってしまう節がある。

 

親子で逆かもしれないけど、母親が私の「生き写し」になっている感じだ。

 

この状態には自分自身で違和感を感じるけど、じゃあどうすればいいのかというのが、大きな課題だ。

 

私もこの状態で十年単位で生きてしまったわけで、いきなりは治らない高めのハードルに見えている。

 

しかし、この母親がありありと見ることのできる、反面教師であることは間違いない。