誰だって、自分を不幸だと考えていて後ろ向きな人間には、近寄りたくないだろう。
そんな人がいたとして、無下に嫌悪することはないかもしれないけど、仲良くなりたいと思ったり、関心を持ったりすることはないのが普通だと思う。
明るいかどうかは人それぞれの性質があると思うけど、少なくとも前向きに生きている人の方に、人は集まるだろう(災害に遭った後とかいうのは別にして)。
だんだんよくわかってきたのは、私の母親が、この近寄りたくない人の部類に入るということだ。
子どもの頃、そんな人の下に閉じこめられていたのでは、たまったものではない。
でも今は大人だから、私は脱出する。
それはそうと、今日はF1について書いて、自分を探ってみよう。
昨日は相撲のことを書いたけど、相撲を見始めたのとだいたい同じ時期に、私はF1も好きになった。
マクラーレン・ホンダに、セナとプロストが乗っていた頃である。
ただ、F1は日本グランプリ以外は深夜時間帯に放送されるから、好きになったといっても、見ていたのは日本グランプリだけだった。
しかし、1989年のセナとプロストのシケインでの接触、1990年のスタート直後の両者の接触をテレビで見ていたのは、よく覚えている。
見ていたのが日本グランプリだけだったとはいえ、私は当時の日本のF1ブームに漏れず、セナが好きだった。
そのセナが1994年に事故死したニュースを見た時、ショックを受けたこともよく覚えている。
その後も数年、F1日本グランプリだけは見ていた私であったけど、夜更かしをしてでも全レースを見るようになったのが、高校の頃。
そして、確か1999年だったと思う。
一瞬で目の前から消える、ものすごいスピードで走行中のマシン。
一台通るだけで耳が痛くなるような爆音。
もう20年以上も前のことなのに、とても脳裏に焼き付いている。
だいたい同じ頃に行った高校の修学旅行のことは、てんで覚えていないのに。
また、まだ日が昇る前の暗い時間に家を出て、ワクワクした気持ちで見上げたその空。
興奮した気持ちが収まらないまま乗り込んだ、帰りの新幹線の車中。
そんなことも、とても良く覚えている。
ちなみに、私は日帰りで決勝だけ見たのである。
だから泊まりはなかったけど、自分のバイトで稼いだお金で、時刻表を買って行き方と帰り方を調べて(当時はインターネットはそこまで普及していなかった)、全く知らない場所に一人で行ったこと。
言ってみれば、初めての冒険であった。
その高揚感も、私の一連の記憶を補強しているのだと思う。
時計の針は進み、社会人になってからは夜更かしはきつくなり、また日本グランプリだけをテレビで見る形に戻った。
その間、F1は有料チャンネルでしか見られなくなっていた。
しかし、生放送のネット中継なら、深夜までいかずとも見られるグランプリが多いから、2021年からほとんどのレースをDAZNで見始めた。
そしたら、かつてセナが操っていたホンダが、劇的な結末でドライバーズタイトルを獲得した(マックス・フェルスタッペン)。
アブダビグランプリのラストラップの興奮は、近年では稀なくらい、激烈に記憶に残っている。
本当は、その2021年だけでもまだつらつらと書けるのだけど、今日はこのくらいにしておこう。
今日、書いて思ったのは、あの鈴鹿の日本グランプリに行った時のことは、思い出すと我ながらホッコリするなということ。
F1が好きでしょうがなくて、どうしても見たくて、一人で計画を立てて誰にも有無を言わさず見に行った、若き頃の私。
かわいいものである。